源頼義が勧請、長大な日誌『塔寺八幡宮長帳』と南北朝期の鰐口が重文
[住所]福島県河沼郡会津坂下町塔寺松原2859
[電話]0242-83-2553

心清水八幡神社(こころしみずはちまんじんじゃ)は、福島県河沼郡会津坂下町にある神社。塔寺八幡宮とも呼ばれ、戌亥歳一代守護を称す。近代社格では県社御朱印の有無は不明。

高寺山南東に位置し、道路を挟んだ東隣には恵隆寺(立木観音堂)がある。社伝によれば、陸奥守源頼義が平安時代の天喜3年(1055年)、当地に石清水八幡宮を勧請したのが始まり。

御祭神は、誉田別命息長帯比売命・比咩大神。相殿に、仲哀天皇仁徳天皇武内宿禰命を祀る。

寛文7年(1667年)、陸奥会津藩初代藩主保科正之は、社僧を廃し、当社を会津大鎮守六社、いわゆる会津六社の一つとし、社殿の修復は藩主の寄進と定め、社領30石を与えた。

天保11年(1840年)、旧社殿が炎上し、文久3年(1865年)に松平容保により再建された。これが現在の社殿である。

明治6年(1873年)には郷社に列し、大正13年(1924年)には県社に昇格。古来より、卯の日が縁日である。例祭は9月15日で、神輿渡御がある。

『塔寺八幡宮長帳』と称される長大な日誌と、南北朝時代の鰐口が保存されており、それぞれ国の重要文化財に指定されている。

長帳は、神主らが大般若経などの御経の転読やその配役などの神社の行事を記した日記で、全長約120メートルにもおよぶ。

現存するものでも、南北朝時代の貞和6年(1350年)から江戸時代初期の寛永12年(1635年)までの286年間分にもなる。

長帳の裏書には、会津を中心とした政治や社会の動きや災害などの記事が記載されており、当社保護に努めた蘆名氏に関する記事が中心ながらも、会津中世史を解明するにあたっては第一級の史料といえる。

その重要さは江戸時代より認識されており、『会津風土記』や『新編会津風土記』はもとより、塙保己一編集の『群書類従』にも取り上げられている。

また、これとは別に、通称『異本塔寺長帳』と呼ばれる日誌が内閣文庫に現存している。こちらは平安時代の天喜5年(1057年)から江戸時代中期の享保20年(1735年)までの記録。

参道には吉田松陰遊歴の碑が設置されている。境内社に出雲社、加茂社、北野社、箱根社、稲荷社、伊勢宮、春日社、若木社などがあり、十二支に応じた守護神としている。

【ご利益】
厄災除け、勝運、交通安全、家内安全、家運強調、戌・亥年の守り神
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