飯盛山の麓に鎮座、南北朝期の創建、付近に白虎隊史跡が多数
[住所]福島県会津若松市一箕町八幡字辨天下甲1405
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厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、福島県会津若松市の飯盛山の麓に鎮座する神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

南北朝時代の永徳年間(1381年-1383年)、多数の童女を従えて現れた美しい霊妃のお告げにより、豪族の石塚・石部・堂家の三家によって創建された。

もとは宗像神社と称した。別当は正宗寺。社殿の建築中にも童女たちが現れ、人夫たちが小豆飯を振舞ったが、いくら食べても減らなかったことから「飯盛」の地名ができた。

御祭神の市杵島姫命は弁才天と習合していたことから、別名を弁天堂といい、この飯盛山は別名を辯天山と呼ばれるようになった。

中世にかけて、芦名・伊達・蒲生・上杉・加藤氏など歴代領主・藩主から会津鎮護の神として崇敬を受けたという。

元禄13年(1700年)には、会津藩主松平正容によって、飯盛山周辺の580間が寄進され、鳥居や仁王門、青銅の大仏も建立された。

寛政8年(1796年)には旧正宗寺三匝堂(さざえ堂)が建てられ、境内に現存する。

飯盛山と言えば、白虎隊士の自刃の地とその墓などで知られる。付近には、白虎隊19士の霊像が安置されている宇賀神堂など、関連史跡が多い。

明治元年(1868年)の神仏分離令に際して現社号に改称した。明治期に、大仏は市内の七日町にある阿弥陀寺へ移されたが、鳥居は今も残る。

境内には、霊牛新堂・子育地蔵尊・地蔵尊・水神社などがある。

【ご利益】
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厳島神社(会津若松市) - 飯盛山の麓に鎮座、南北朝期の創建、付近に白虎隊史跡が多数
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