大正期に全国18位とされた枝垂れ桜、文珠菩薩を併祀する、もとの大行院
[住所]青森県弘前市西茂森1-1-25
[電話]0172-32-5796

弘前天満宮(ひろさきてんまんぐう)は、青森県弘前市にある神社。菅原道真を祀る天神・天満宮の一つ。近代社格では村社。西方岩木山に相対し眼下に先達ヶ渕を見下ろす景勝地に鎮座する。正式には天満宮のみ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

前身は、長永寺松峰山大行院という修験道当山派の寺院で、『弘藩明治一統誌』では天満宮自体は元禄2年(1689年)に植田村(現 弘前市愛宕)の橋雲寺に弘前藩4代藩主津軽信政の生母久祥院によって寄進されたのが創まり。

明治3年(1870年)に大行院が廃されるに際して、橋雲寺から遷したもので、一説には同院境内に鎮座した若木神社を天満宮としたものともされている。

また、慶長15年(1610年)に弘前城に遷され、 更に信政の命で橋雲寺に遷された天満宮であるとも伝える。

なお、大行院は藩政時代に当山派または大峰派の津軽藩における司頭で、後に羽黒派司頭も兼ねていた。

当社社伝によれば、菅原家の未裔珍重丸から12代目の後胤にあたる永尊(栄尊とも)が慶長3年 (1598年)に後の初代弘前藩主津軽為信の招きに応じて、津軽に来住。

大根子村(現 田舎館村大根子)に祈願所として仮堂を開創した。翌4年2月に八幡村(現 弘前市八幡町)へ移転するととともに寺禄30石を与えられた。

寛永2年(1625年)に新寺町へ移転後、宝暦4年(1754年)に報恩寺の造営に際して津軽藩薬草院のあった現在地に三遷した。または、慶長17年(1612年)に開創されたとも。

しかし明治9年(1876年)の『新選陸奥国誌』によれば、明治4年(1871年)に大行院が修験道を廃して神道専一の菅原神社に変じたともいう。

時の第10代院主宇庭光海が還俗して祠掌に転じ、相殿に少彦名神を祀る若木神社を配したという。

現在は、大行院本尊の文珠菩薩と、種里城に拠った大浦家(後の津軽家)の先祖が祀っていた舘神「天神さま」を併せ祀るという。

枝垂れ桜が県指定天然記念物。樹高11メートル、幹周2.6メートル。藩政期の大行院時代の名残から「大行院のシダレザクラ」とも呼ばれる。

その側には麻疹の平癒にご利益があるという祠が祀られる。大正9年(1920年)に東京朝日新聞が100本を選定した「全国大桜番付」の中に「弘前の枝垂桜」として18番目に番付された。

【ご利益】
学業・受験合格、病気平癒
弘前天満宮 - 大正期に全国18位とされた枝垂れ桜、文珠菩薩を併祀する、もとの大行院
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