日本武尊の東征時の創祀、北条氏など関東武将からの崇敬、6月には潮田まつり
[住所]神奈川県横浜市鶴見区潮田町3-131-1
[電話]045-511-5596

潮田神社(うしおだじんじゃ)は、神奈川県横浜市鶴見区潮田町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

口碑によれば、第12代景行天皇40年、日本武尊の東征の際、相模より上総に渡る時に従臣に、旧西潮田村海岸近くの古杉老松の森に小祠を建てさせ、国常立尊豊斟渟尊・国狭槌尊を奉斎させたと伝わる。

征途の無事安全を祈願したといい、それ以来、御嶽大権現と称して、中世、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、北条氏をはじめ、多くの武将に崇敬された。

正親天皇の御世、永禄年間(1558年-1570年)に太田道灌の曾孫である太田新六郎康資がたびたび修復したことが、東潮田村の杉山社に残る御神鏡からうかがえるという。

江戸時代に入り、正保年間(1644年-1647年)には地頭松下孫十郎が幕府の命により社殿を改築し、寛文10年(1670年)には幕府が社領として1段4畝20歩を寄進した。

寛政元年(1789年)の拝殿の棟札、延享元年(1744年)の鳥居などにより、近世当時の模様を知ることができるという。

明治3年(1870年)、社名を御嶽大神と改称し、明治6年(1873年)には村社に列した。

明治42年(1909年)8月、文化年間(1804年-1818年)以前の古社である井田方鎮座の須賀社(素盞嗚尊)、小野新田鎮座の稲荷社(豊受神)、向原鎮座の菅原社(菅原道真公)を本殿に合祀した。

また同年、井田方鎮座の神明社(天照大御神弥都波能売神)を境内社として移転。

さらに、永禄年間以前の古社である東潮田村鎮座の村社杉山社(五十猛尊)、永仁6年(1298年)以前の古社である上居村鎮座の若宮八幡社(誉田別尊)、浜端鎮座の白山社(菊理姫命)、弁天下鎮座の厳島社(市杵嶋姫命)の3社を合祀。

大正初期になると京浜工業地帯の発展に伴い、耕地整理・区画整理による街造りのため、大正8年(1919年)11月、村社杉山社を村社御嶽社に合併、本殿に合祀し、杉山社の境内の稲荷社を境内に移転した。

この杉山社が、『延喜式神名帳』にある「杉山神社(武蔵国・都筑郡)」に比定される式内社(小社)の論社である可能性があると指摘する向きもある。杉山神社72社の一つである。

大正9年(1920年)1月に現社号に改称、同年4月に現在地に移転、同年11月に神饌幣帛料供進社に指定された。

大正12年(1923年)の関東大震災により拝殿が倒壊し、昭和5年(1930年)に再建された。昭和20年(1945年)、戦災により社殿を焼失、昭和28年(1953年)6月に復興した。

例祭はもとは6月5日だったようだが、現在は6月第1金曜日から日曜日までの3日間。潮田祭りと呼ばれ、鶴見区内最大の祭典として知られる。

目玉となる最終日には、40を超える神輿が担ぎ出され、町中を練り歩く神幸祭があり、潮田地区が1年間で最も盛り上がりを見せるという。

また、2月上午の日には初午祭が、11月酉の日には酉の市祭が斎行される。

海上自衛隊の多用途支援艦「えんしゅう」の艦内神社に分祀したという。「えんしゅう」の艦内神社は他に、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)・富士山本宮浅間大社大山祇神社を勧請したという。

【ご利益】
旅行・出張・交通安全、地域・家内安全、地域振興
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潮田神社の御朱印