「加古」の発祥、景行皇后が日本武尊を出産する際に祈願を行った安産の神
[住所]兵庫県加古川市加古川町大野1755
[電話]079-422-7646

日岡神社(ひおかじんじ)は、兵庫県加古川市加古川町大野にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀古郡「日岡坐天伊佐佐比古神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

創建は不詳。社伝によれば、初代神武天皇東征の際に荒振神が悪行を催して悩ませたが、国津神の伊佐々辺命が謀を奏したため、荒振神を退治することができた。

しかし伊佐々辺命は戦死してしまったため、神武天皇は戦勝を祈った自身の父母である玉依姫命草不合命の2柱に伊佐々辺命を配して、これら3柱を奉斎したという。

『播磨国風土記』賀古郡条では、日岡に坐す神について、大御津歯命の子の伊波都比古命とある。式内社名から、天伊佐佐比古神とも。

天伊佐佐比古神は、第12代景行天皇皇后である播磨稲日大郎姫命大碓命・小碓命の双子出産に際し、安産祈願をしたとされる。小碓命は後の日本武尊

伊佐々辺命、伊波都比古命、天伊佐佐比古神(天伊佐佐比古命)と変遷はあるが、同じ一族か。現在でも安産の神として崇敬されている。

御祭神は、主祭神が天伊佐佐比古命、配祀神が豊玉比売命・鸕草葺不合命・天照皇大御神市杵島比売命

兵庫県南部、加古川左岸の丘陵南麓に鎮座する。この丘陵は古くから「日岡」と称され、一帯の地名「加古」の由来伝承にも関係する。

境内は日岡山の南麓に位置するが、この日岡山には古墳時代前期から中期の古墳群(日岡古墳群/日岡山古墳群)がある。

中でも代表的な日岡陵古墳は墳丘長約85.5メートルの前方後円墳で、『播磨国風土記』賀古郡条にみえる「褶墓(ひれはか)」と関連付ける説がある。

現在では第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命の陵に治定されている。

戦国時代の天正6年(1578年)には兵火で社殿および旧記が焼失、それ以前の状況がよくわからなくなった。

鎌倉時代から南北朝時代の『峯相記』に「日向大明神」と記されて以後は、社名には「日向」の呼称も使用されたという。

近世には、慶長6年(1601年)に池田輝政から社領5石の寄進を受けたほか、慶長7年(1602年)に日向宮山について禁制が出されている。

また、明和元年(1764年)には大野村・河原村・溝口村の人により社殿が再建された。明治維新後、明治7年(1874年)2月に郷社に列した。

日本海軍の重巡洋艦「加古」の艦内神社に分祀。「加古」の艦内神社は他に、伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮を勧請したとも。

第二次世界大戦中に活躍した日本海軍の艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかり。

社殿は明治3年(1870年)に改築・再建されていたが、昭和44年(1969年)に火災で焼失し、昭和46年(1971年)に現在の社殿が再建された。

社名は近世頃には「正一位日向大明神」と称され、明治以降に現社号に改称したが、現在でも地元では「日向さん」のほか「大野さん」や「日岡さん」と通称されている。

例祭は10月第2土・日曜日。2月には天伊佐佐比古命が稲日大郎姫命の安産祈願として7日間忌み籠ったことに由来する神事と伝える亥巳籠(いみごもり)がある。

また、旧印南郡の国恩祭の一社で、当社でも11年に一度再興される。次回予定は2020年。当社は旧加古郡地域だが、便宜上、伊奈美(旧印南郡)とされている。

境内には、居屋河原日岡神社(大鳥居神社)、高御位神社、天満神社、恵美須神社、稲荷神社、住吉神社、熊野神社などがある。

【ご利益】
安産、子育て、地域・家内安全、地域振興(公式HP
日岡神社 - 「加古」の発祥、景行皇后が日本武尊を出産する際に祈願を行った安産の神
【関連記事】
艦内神社とは? - 「恐怖の海」への対処法 - 日本海軍の艦内神社 - 艦娘たちの守護神
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧
日岡神社の御朱印
加古 - Wikipedia
『艦これ』加古