備後八ツ尾山城の守護神、元禄期の旧本殿が天満宮社殿
府中八幡神社(広島県府中市出口町府162)
[住所]広島県府中市出口町162
[電話]0847-41-2304

府中八幡神社(ふちゅうはちまんじんじゃ)は、広島県府中市出口町にある神社。応神天皇神功皇后・比売大神を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

標高345.9メートルの八ツ尾山(八尾山、八ッ尾山)の東南麓に鎮座する。山頂には鎌倉時代の建仁2年(1202年)に備後守護杉原光平によって築かれた八ツ尾城があった。

室町時代の嘉吉3年(1443年)、備後山名持豊の目代宮田備後守政輝の手により、現社殿の裏山宮の壇に八ツ尾城の守護神として創建された。

戦国時代の天文7年(1538年)、最後の八ツ尾城主だった杉原理興が神辺城へ移ったことにより、当社は衰微。

江戸時代になり、承応2年(1653年)に地元の郷民たちにより現在地に遷座、再興したという。

寛文12年(1672年)、府中市村の庄屋河面市右衛門直賢が願主となり、米金を募ってこれを利殖し、元禄5年(1692年)に現社殿の前身となる本殿を造営した。

末社に天満宮と金屋子神社・久久能智大神(農耕・家畜の神)および府中の産業である家具大工の祖神などが祀られている。

この天満宮の現在の社殿は、元禄5年に造営された旧本殿で、この地方によく見られる形式ながら、最古級のもので、市の重要有形文化財に指定されている。

当社から南西に下がる道が「歴史の散歩道」で、菅茶山の詩文に出てくる羽中の常夜灯や、二ノ宮(新宮神社)がある。

当社を備後国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮とする説がある。確かに、市内元町付近の備後国の国府跡からは遠く離れていない。

しかし、創建が室町時代で、八ツ尾城の守護神という明確な由緒があることから、律令体制下での国府八幡宮とは考えづらい。

現在も名前が残る府中一帯の守護神として位置付けられ、いつしか一国一社の八幡宮と考えられるようになったのか、名前に引きずられた間違いなのかは不明。

ちなみに、備後国総社の旧社地には小野神社が鎮座する。また、備後国の国分寺は現在の福山市神辺町に建立されたが、その守護神である国分八幡宮として、下御領八幡神社がある。

【ご利益】
厄災除け、地域・家内安全、地域振興
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府中八幡神社(府中市出口町)の御朱印