平安期創建、能登国の一国一社の八幡、往時は大規模な放生会
八幡神社(石川県七尾市八幡町ラ2)
[住所]石川県七尾市八幡町ラ2
[電話]0767-57-1748 - 久志伊奈太伎比咩神社

八幡神社(やはたじんじゃ)は、石川県七尾市八幡町にある神社。御祭神は、息長足姫命譽田別命・比咩大神・手力雄命天照大御神豊受大神。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

当社の創建は不詳だが、平安時代の第56代清和天皇(858年-876年)の御代、勅して一国一社の八幡神社を創建することになった、能登国のその社が当社だという。

能登国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮の一つである。

能登国八幡神社の惣社として、重要事があるごとに奉詔や勅願があり、国司の神領の寄付などにより社地広大で、往古より北国の名社として 正八幡宮と呼称された。

国主である畠山城主は、毎年旧8月13日の祭事に騎馬で参拝し、末社の戸隠社(旧毘沙門天堂)広前で能・舞楽を奉納し、放生会と称し、神職は湯の花を捧げ、僧侶は柴刀護摩を焚いた。

氏子はもちろん、近郷の老若男女、鯉・鮒・鯰などを持ち寄り、御手洗池へ放ち、それを競い合ったといわれている。

戦国時代の永禄元年(1558年)3月、畠山義綱は社殿を修造し、同時に改造領地4丁を寄進した。

天正年間(1573年-1591年)まで社僧の善野寺があり、天台宗聖護院の堂塔や畠山城主の寄付による、神器・宝物など数多くあったが、天正の兵乱でほとんどが焼失。

その痕跡とされる、古鏡1面、大和錦の戸張2枚がわずかに残る程度になっているという。

江戸時代になり、元禄12年(1699年)には本殿を再建し、文化2年(1805年)8月には拝殿を修造した。

八幡村の御領所地に末社の戸隠社があったのを本社に合祀。明治初年ごろまで正八幡宮と称し、その後、現社名に改称した。明治16年(1883年)6月12日に郷社に列する。

現在は同市飯川町に鎮座する久志伊奈太伎比咩神社の兼務神社である。

なお、能登国分寺の守護神、いわゆる国分八幡宮は、同市細口町に鎮座する若宮八幡神社だとされている。

【ご利益】
武運長久・勝運、厄災除け、地域・家内安全、安産
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