近世初期に壺井八幡宮を勧請して創建、江戸期の社殿や燈籠
国府八幡神社(大阪府藤井寺市国府1-4-56)
[住所]大阪府藤井寺市国府1-4-56
[電話]072-953-2525 - 道明寺天満宮

国府八幡神社(こうはちまんじんじゃ、國府八幡神社)は、大阪府藤井寺市国府にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

御祭神は八幡大神(応神天皇)と、春日大神・住吉大神。例祭は10月9日。現在は道明寺天満宮の兼務神社。

伝承によれば、近世の初期に壺井八幡宮の御分霊を勧請して創建された。北側に隣接する潮音寺は、明治初年の神仏分離までは、当社と一体の神宮寺だったと考えられている。

市内には、江戸時代初期の頃に誕生した八幡神社が五社あり、当社以外の沢田八幡神社・古室八幡神社・土師里八幡神社・津堂八幡神社はいずれも誉田八幡宮を勧請している。

明治期に旧志紀郡国府村の村社となったが、明治40年(1907年)12月23日に、他の数社とともに北隣りの北條村にある式内社の黒田神社に合祀された。

戦後の昭和21年(1946年)6月2日に黒田神社から元通りに複社し、現在に至っている。現在は国府地区の氏神として崇敬されている。

本殿は江戸中期の建造。拝殿には万延元年(1860年)の棟札があり、最近修復が加えられた。

鳥居も江戸中期の享保5年(1720年)のものだったが、昭和54年(1979年)に解体保存された。境内には、江戸期の石燈籠がいくつかある。

当社を河内国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮とする説があるが、江戸初期創建となると、多少無理がありそうだ。

国分寺などとも関わるため、各地の国府八幡宮は奈良時代、あるいは平安時代初期の創建が多く、南北朝時代ごろの創建などもないわけではないが、江戸期というのは他にあまり例がない(と思う)。

もともと当社地では何らかの祭祀が行われ、それが八幡神で、国府八幡宮とされていたことがあるのだろうか。その後、近世初期に再勧請された、とか。

普通に考えれば、名称や立地条件(確かに当社地付近は河内国国府跡近く)に引きずられた間違いかもしれない。

【ご利益】
厄災除け、地域・家内安全
国府八幡神社(藤井寺市)1
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