武蔵国国分寺の守護神か? 江戸期に村の鎮守、本殿新造
[住所]東京都国分寺市西元町1-13-23
[電話]042-328-4138

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、東京都国分寺市西元町にある神社。御祭神は応神天皇。近代社格では村社。地名を取り、元町八幡神社・西元町八幡神社とも。御朱印の有無は不明。

国分寺薬師堂南西の国分寺崖線上に境内を構える。境内は南面し、崖線下に階段及び鳥居を設け、崖上に狛犬、鳥居、東傍らに末社、参道突き当たりに拝殿、幣殿、本殿、本殿覆殿が建ち、その東側に氏子会館が置かれている。

由来は明らかではないが、武蔵国国分寺に隣接していることから考えて、国分寺の守護神だった可能性がある。そうすると、平安時代、さらには奈良時代の勧請とも考えられる。

武蔵国国府にはその守護神・国府八幡宮として、府中市に武蔵国府八幡宮がある。もし当社が国分寺の守護神であるならば、武蔵国では国府と国分寺の守護八幡が明確に分かれていることになり、珍しい事例となる。

別当は国分寺とされる。国分寺との深い関係をうかがわせる。幕末期の御用留には、元和年間(1615年-1623年)、除地5反歩と記されいる。

江戸期には国分寺村の鎮守社として崇敬された。明治4年(1871年)に村社に列した。

明治12年(1879年)の『神社明細帳』(東京都公文書館所蔵)では、当時の社殿を享保5年(1720年)に新造したとの伝承を載せている。ただし、現存の本殿は19世紀前期ごろのものと考えられている。

『北多摩神社誌』では、明治41年12月に本殿、拝殿を新築したとしているが、これは拝殿・本殿覆殿が彫刻絵様が明治時代後期の傾向を示すため、拝殿、本殿覆殿の新築のことだとされる。

昭和26年(1951年)には国分寺市本町の本町八幡神社を分祀した。また昭和38年(1963年)4月に覆殿の改修があり、この際、幣殿が建築された。

【ご利益】
厄災除け、地域・家内安全
八幡神社(国分寺市西元町) - 武蔵国国分寺の守護神か? 江戸期に村の鎮守、本殿新造
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