平清盛が男山八幡を勧請、豊臣秀吉も祈願、1月18日・19日は厄除大祭
[住所]兵庫県神戸市灘区八幡町3-6-5
[電話]078-851-7602

六甲八幡神社(ろっこうやはたじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区八幡町にある神社。摂津八幡、摂津国石清水八幡宮とも言われ、一国一社の称号を持つ、いわゆる国府八幡宮の一つ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は八幡大神、天照大神、春日大神。創建に関しては諸説ある。

平安時代の万寿3年(1026年)、永原武信という人が八幡宮の神助を得られたということで奉斎し始めた、というのが一つ。

あるいは、平清盛が治承4年(1180年)の福原遷都の時、男山八幡(石清水八幡宮)を勧請して、成瀬という旧地名を八幡(やはた)に改めたのが起源とも。

また、鎌倉時代末期の正和年間(1312年-1317年)、勅命によって豊前宇佐八幡宮を勧請したとも伝えられている。

それに先立つこと、文永8年(1271年)には後嵯峨法皇の院宣によって荘園を豊前国に下賜し、法皇の祈願所となった、とも伝わる。

以上のことが仮にすべて時系列で起こっても特段の矛盾はないように思われる。男山を勧請し、宇佐をその後に勧請する、あるいはその逆というケースは皆無ではない。

もともと一説に、はるか古代、神功皇后の三韓征伐ゆかりの地であるともされており、古くからの聖地だったのだろう。天照大神、春日大神が原初に奉斎されていた可能性もある。

『太平記』元弘3年(1333年)の麻耶城合戦の条に「八幡林」と見えるのは、当社社叢のことだともされる。

戦国時代になって、享禄年間(1528年-1531年)、元亀年間(1570年-1572年)の兵乱で破却され、荒廃した。

天正年間(1573年-1591年)、林播磨という人が当社を修復。その時の建造が、厄神宮本殿として現存している。現在は市の文化財に指定されている。

豊臣秀吉が唐入りに際して、当社に祈願したとも伝わる。

江戸時代になり、林播磨の孫(だと計算に合わないので、子孫か)である林清兵衛が寛政7年(1795年)に本殿などを改築した。

その後、領主の石河氏によって、境内の整備が行われ、現在の厄神宮本殿に換えて、大和国春日大社の社殿を移築、これが現在の当社社殿である。

江戸期には、酒問屋の信仰が厚く、灘の清酒を回漕する際に祈願する例が文献からも確認できる。

1月18日・19日に厄除大祭がある。氏子からは厄神祭(やくじんさん)と呼ばれ、親しまれている。両日で約10万人の参拝者が集まるという。

境内、参道には百数十軒の出店が並び、非常な賑わいを見せる。厄除の破魔矢が人気。19日の本宮では、湯立て神事が行われる。

境内社に、先の安土桃山時代の社殿が残る厄神宮、金比羅宮、稲荷宮、庚申社がある。厄神宮本殿は阪神淡路大震災で全壊したが、その後復元された。

【ご利益】
厄災除け、無病息災(公式HP
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