国譲り後の事代主命の荒魂が鎮まった宮、伯耆の総氏神、裏手には福庭古墳
波波伎神社(鳥取県倉吉市福庭654)
[住所]鳥取県倉吉市福庭654
[電話]0858-23-2008 - 倉吉市観光協会

波波伎神社(ははきじんじゃ)は、鳥取県倉吉市福庭にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陰道神 伯耆国 川村郡「波波伎神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

八重事代主命天稚彦神下照姫命少彦名神建御名方命味耜高彦根命市寸島比売命多紀理毘売命多岐都比売命宗像三女神)を祀る。

大国主命に連なる神々で、出雲神話との関連が深い。八重事代主命は国土経営のため、この地を巡察した際、西方の「ワタラガヒ(渡上)」の地に上陸したという。

国譲りにおいては、父に国譲りを薦めた(『古事記』該当部分)。

潔く国土を献上、父大国主命に孝道を尽くし、皇室の護り神となった、というのが、神社本庁などの解説ではあるが、『古事記』の流れからはその解説には無理がある。

当社は、八重事代主命の荒魂が青柴の巻籬内に鎮まった、その宮そのものであり、それが創建と伝わる。

ただし、荒魂を鎮めなければならなかったところに、上述の「のほほん」とした国譲りと、その後の「美談」は、論理的に破城していると言える。

裏手には福庭古墳と呼ばれる円墳があり、古墳時代後期、あるいは7世紀前半の終末期のものとされている。当社との関係は不明だが、現在は県の史跡に指定されている。

「波波伎」の社名は、伯耆(ほうき)と同じだと考えられ、伯耆国造が奉斎した社であるとされている。古来当社は、伯耆国の総氏神として崇敬されていた。

しかし、明治になり、近代社格では、伯耆国一宮倭文神社と伯耆国二宮の大神山神社国幣小社になったものの、当社は郷社にとどまった。

これに対し、氏子による昇格運動が起り、それ以降、伯耆二の宮と称するようになり、昭和になって、県社に昇格したという。

ちなみに、倭文神社には当社の御祭神でもある下照姫神の伝承が色濃く残り、大神山神社は当社の父神にあたる大国主命を奉斎している。

どちらにしろ出雲神話の輪の中で強くつながっている三社といえる。

社殿は明治10年(1877年)の再建。大正5年(1916年)には、海田神社を合併。

社叢はスダジイやタブノキの巨木が茂る原生林で、自生のツバキも多く、「波波伎神社社叢」として、国の天然記念物に指定されている。

今では当社の事代主命も「恵比寿」神として親しまれるようになり、毎年1月10日に恵比寿祭が行われている。

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波波伎神社 - 国譲り後の事代主命の荒魂が鎮まった宮、伯耆の総氏神、裏手には福庭古墳
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