西礼の吉礼津姫命を合祀して紛争を解決した、伊太祁曽三神の一つ
都麻津姫神社(和歌山県和歌山市吉礼911)
[住所]和歌山県和歌山市吉礼911
[電話]073-478-3487

都麻津姫神社(つまつひめじんじゃ)は、和歌山県和歌山市吉礼にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「都麻都比売神社」に比定される式内社(名神大社・月次新嘗)の論社。近代社格では村社。

当社の創建は不詳だが、吉礼地区最古の神社とされる。式内社「都麻都比売神社」は、『続日本紀』大宝2年(702年)の伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売3社の分遷の記事が初見である。

主祭神は、都麻津姫命で、相殿に吉礼津姫命を祀る。左殿に都麻津姫命の兄神である五十猛命、右殿に同じく姉神である大屋津姫命を配祀する。3神の父は素戔嗚尊であり、紀伊国には須佐神社がある。

式内社「都麻都比売神社」と、五十猛命を御祭神とする伊太祁曽神社、大屋津姫命を御祭神とする大屋都姫神社をあわせ、『日本書紀』にあるこれら3神は、紀伊国に木種をもたらした神で、伊太祁曽三神と総称される。

天正年間(1573年-1593年)の豊臣秀吉の紀州攻めに罹り、神宝・旧記などことごとく焼失し、その後は神名も定かでなくなるほど衰廃し、俗に山王明神とか、都麻津姫神とか、と称した。

数百年前というアバウトさながら、おそらくは天正年間に記録が失われて以降、近世初期ぐらいまでの間のことと思われるが、もともとは吉礼村の西部に、別に吉礼津姫神社という小祠があった。

西部の吉礼で西礼の吉礼津姫神社に対して、東部の吉礼で東礼の当社があって、各氏子区域を分け、信念を異にしたため、騒乱のもととなっていたという。

これを憂いた当時の有力者が、「都麻津姫命・吉禮津姫命」を合祀したという。境内には現在も吉禮津姫神社の小殿があり、西部即ち、西礼には今もその跡地があり、西礼・東礼の名も残るという。

合併したことにより、当時の人々は自然と「吉礼大明神」として崇めることとなり、その後「都麻」は、建造物の「妻造り」や「妻」に通じたためか、地鎮祭・安産・初宮詣などで訪れる人が多くなったという。

『紀伊国名所図会』や延享3年(1746年)の『南紀神社録』では、当社を式内社「都麻都比売神社」と比定する。

一方、『続風土記』ではこれを否定し、当社は『紀伊国神名帳』に見える「従五位下 吉礼津姫神」に相当し、都麻都比売神を高積神社に比定する。

神社明細帳によれば、当社は江戸時代に式内社「都麻都比売神社」として現社名で奉斎されたが、明治に入り「吉礼津姫神社」に改称した。

明治6年(1873年)に村社に列し、その後、昭和21年(1946年)に旧称の現社号に復し、現在に至っている。

式内社「都麻都比売神社」の他の論社として、市内平尾に都麻都姫神社がある。

【ご利益】
住宅、安産、地域・家内安全
都麻津姫神社(吉礼) - 西礼の吉礼津姫命を合祀して紛争を解決した、伊太祁曽三神の一つ
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都麻津姫神社(吉礼)の御朱印