天日矛の系列、鎌倉期に加茂社領になって加茂大明神と称された名神大社
御出石神社(兵庫県豊岡市出石町桐野986)
[住所]兵庫県豊岡市出石町桐野986
[電話]0796-52-2440 - 出石神社

御出石神社(みいずしじんじゃ)は、兵庫県豊岡市出石町にある神社。現在は、出石神社の兼務神社である。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「御出石神社(但馬国・出石郡)」に比定される式内社(名神大社)。ただし、『延喜式臨時祭』「名神祭」には掲載されていない。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。一説には、初代神武天皇6年3月、天日矛命の子孫によって祀られ、出石丘に鎮座したという。社号の読みは「みずし」とも。

御祭神は日矛神。天日槍の娘伊豆志袁登売神(出石乙女)も奉斎されているとも。異説として、大己貴命とその子・御出石櫛甕玉命とするというものもある。

もとは、桐野と水石の間の地にあったが、洪水のため、現在地へ遷ったともいう。社号から言っても、御祭神や由緒から言っても、出石神社とは深い関係があることは間違いない。

また、近辺には、当社のほか、三宅の中嶋神社、内町の諸杉神社、荒木の須義神社など天日槍系の神社が多く分布することでも知られている。

ただし、『古事記』によれば、天日矛は第15代応神天皇の頃に登場する。実際にはそれより数世代前に活躍したと考えられるが、神武天皇の頃にその子孫が奉斎というのでは大きな矛盾がある。

鎌倉時代は加茂社(上賀茂社下鴨社)領になっていた。今でも加茂さんと通称される。室町時代には山名氏の崇敬が厚く、社領の寄進や社殿の修覆が行なわれた。

永禄11年(1568年)に再建されるが、天正8年(1580年)、羽柴秀吉(豊臣秀吉)によって社領を没収された。

江戸時代になり、出石領主小出氏や仙石氏に崇敬され、万治2年(1659年)に本殿が修理される。安永6年(1777年)、上野五ヶ村の氏子により社殿が修造された。

近世も「加茂大明神」と称していたというが、明治になり、現社号に定着したものと思われる。大正5年(1916年)に、本殿修理・拝殿神庫が建設された。

例祭は10月14日で秋祭り。境内社に、秋葉神社・稲荷神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、子孫・一族繁栄
御出石神社 - 天日矛の系列、鎌倉期に加茂社領になって加茂大明神と称された名神大社
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