群馬県太田市の得川郷、徳川氏発祥の地に託された生田家が奉斎した東照宮
徳川東照宮(群馬県太田市徳川町396)
[住所]群馬県太田市徳川町396
[電話]0276-52-2045 - 世良田東照宮

徳川東照宮(とくがわとうしょうぐう)は、群馬県太田市徳川町にある神社。近代社格では村社。東照大権現(徳川家康)を祀る東照宮の一つで、全国東照宮連合会に加盟している。現在は世良田東照宮の兼務神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

徳川氏の始祖である得川義季(世良田義季)から8代目である親氏は、南北朝の戦いで室町幕府による新田氏残党追捕の幕命により新田之庄を出国せざるをえなくなった。

得川郷(徳川郷)の生田隼人は、親氏の出国時に銭一貫文と品物を餞別とし、郷内の百姓とともに中瀬(現 埼玉県深谷市)まで見送った。

その時に親氏の領地を預けられたことで、以後生田家が徳川郷主となる。ちなみに親氏はその後、愛知県豊田市の松平郷に流れ着き、松平親氏として、そこを拠点とする。現在、松平東照宮に祀られている。

天正19年(1591年)、徳川郷主生田家16代義豊は、武州川越(現 埼玉県川越市)で徳川家康に拝謁し、『新田徳川系図』の提出と生田姓から正田姓への改めを命じられる。

同11月には、家康より徳川郷へ300石の御朱印を寄進され、正田家に徳川遠祖の御館跡を子孫末代まで居屋敷として所持してよいと許可された。

寛永21年(1644年)、世良田東照宮の勧請にともない、18代正田義長は邸内に私的な東照宮を建立。

祭祀は正田家が執り行い、世良田東照宮と同様に4月17日と正月に限り庶民の参拝を許可した。

明治5年(1872年)、邸内社であった東照宮の社地を徳川郷へ寄進、村社に列する。明治40年(1907年)11月6日、郷内4社各末社が合祀され、徳川郷の鎮守として改めて崇敬されるようになった。

大正3年(1924年)6月3日、徳川郷内の永徳寺より権現堂を移築、それを拝殿とし現在に至る。

【ご利益】
事業成功、地域・家内安全
徳川東照宮1
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徳川東照宮の御朱印