もとは大阪・川崎の東照宮、桑名を経て、忍城址に鎮座、家康の肖像画と神像
[住所]埼玉県行田市忍本丸12-5
[電話]048-556-2096

忍東照宮(おしとうしょうぐう)は、埼玉県行田市にある神社。御祭神は、徳川家康公・松平忠明命・八幡大神。近代社格では村社。全国に分布する東照宮の一つで、全国東照宮連合会に加盟している。参拝すれば、諏訪神社と併記された御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

創祀としては、鎌倉時代の建久年間(1190年-1199年)、忍三郎・忍五郎家時などの一族が当地に居住した頃、あるいは室町時代の延徳3年(1491年)に成田親泰が忍城を築城した頃とも言われる。小説・映画『のぼうの城』で一躍有名になった。

大坂夏の陣後の復興に尽力した徳川家康の長女亀姫の4男である松平忠明が、元和3年(1617年)4月、大坂城外の川崎に創建したのが始まりという。

この川崎東照宮(大坂東照宮)は、2代将軍秀忠により、姉である亀姫に伝えられた家康の木像を御神体とした。また、亀姫は父家康の肖像画も保管し、後に忠明に伝えられている。

忠明が大和国郡山へ移ると、寛永2年(1625年)には大和郡山城内に社殿を造営して、家康の肖像を安置。以来、藩主・藩士の崇敬社となった。その後、移封の都度に東照宮は遷座した。

文政6年(1823年)、忠明の子孫・松平忠尭は伊勢桑名から忍へと移封するにあたり、忍城内の下荒井の地へ東照宮を勧請した。現存する本殿はこの時のもので、白木の入母星造り。

その社領は、大和郡山当時より100石を受け継ぎ、明治維新まで続くことになるが、その地は埼玉古墳群の辺りであったと伝えられている。

慶応4年(1868年)、鳥羽伏見の戦いの引揚げに際して、時の藩主松平忠誠は大坂蔵屋敷内の川崎東照宮の御神体であった家康の木像を、当宮に遷座したと伝えられている。

明治4年(1871年)、藩主家が東京に移住したため、当宮は祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士らにより、明治7年(1874年)に下荒井の地より忍城本丸の一部である諏訪郭内の諏訪神社境内に当宮の本殿を移した。

明治33年(1900年)には藩祖である松平忠明を配祀。昭和5年(1930年)には現在の拝殿が造営された。例祭は家康の命日である4月17日。

本殿の内陣に県重要文化財の家康公肖像と大坂東照宮以来伝わる神像が祀られている。また、黒糸威二枚胴具足も県指定文化財。

境内社に、護国神社・浅間社・皇大神宮・大雷社・土星姫社・金星稲荷社がある。

【ご利益】
子孫繁栄、事業成功
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忍東照宮の御朱印