阿波蜂須賀家が江戸初期に秀吉を奉斎、秀吉木像の唯一の現存例
豊国神社(徳島県小松島市中郷町豊の本4)
[住所]徳島県小松島市中郷町豊の本4
[電話]-

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、徳島県小松島市中郷町にある神社。近代社格では無格社。豊臣秀吉を祀る豊国神社の一つ。御朱印の有無は不明。

慶長19年(1614年)、徳島藩祖蜂須賀家政が建立したという。ちょうど大坂の陣が始まる年。家政は豊臣方の誘いを断っている。秀吉と蜂須賀家との関係上、思うところがあったか。

当然、江戸幕府成立期のこの時期、秀吉を祀る神社など認められようがないのだが、この阿波の神社は壮麗な社殿が建立され、その後30年もの長きにわたって祭祀が続けられた。

当時の情勢に鑑みれば、30年とはいえ、極めて稀有なこと。なぜ、幕府からお咎めがなかったのか全くの謎。承応年間(1652-1654年)にようやく撤去された。家政もすでに亡く、当然、徳川家に憚ったためだろう。

御神体は、秀吉自身が100体作らせ、各地に配った木像。100体の中で、当社のものだけが現存すると伝えられている。一般には現在でも非公開。

社殿は撤去されたが、御神体の木像は処分されず、中田村の庄屋の蔵に隠され、祀られ続けたという。

その後、宝永4年(1707年)、御神体は近くの宝蔵寺(現 堀越寺)に移され、名称も変え、寺の境内の小さな祠に偽装して祀られたという。

寛政6年(1794)、現在地に秀吉を祀る神社が建てられ、明治になって現社号に改称した。

境内社に、御縣神社・住吉神社・瑜伽神社・加藤清正神社がある。このうち、御縣神社は『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 阿波国 勝浦郡「御県神社」に比定される式内社(小社)。

宮方神社とも呼ばれる御縣神社は、もともと国鉄の線路地にあったが、明治45年(1912年)、鉄道工事のため、当社境内に移された。

御祭神は、大己貴命または事代主命とされる。「御縣神社」という社名は、奈良などにいくつか見られ、皇室直轄地あるいはその社であることが多いため、この御縣神社もそれとの関連が指摘される。

豊国神社は全国各地にあり、本社は京都市東山区に、秀吉生誕地の名古屋市、大坂城のおひざ元として大阪市中央区に、秀吉ゆかりの滋賀県長浜市、前田利家の意志として祀られたものが石川県金沢市に、博多の貿易商神屋宗湛の屋敷跡に祀られたものが福岡県福岡市博多区にある。

【ご利益】
立身出世、友情・縁結び、子孫繁栄
豊国神社(小松島市) - 阿波蜂須賀家が江戸初期に秀吉を奉斎、秀吉木像の唯一の現存例
【関連記事】
豊国神社とは? - 豊臣秀吉を祀る「とよくに」「ほうこく」、江戸期から秘密裏に奉斎も
徳島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、徳島県に鎮座している神社の一覧