平安期勧請の一条八幡、出羽国総社とも、5月に奴振りと流鏑馬
八幡神社(山形県酒田市市条字水上14-1-1)
[住所]山形県酒田市市条字水上14-1-1
[電話]0234-64-2666

八幡神社(やわたじんじゃ)は、山形県酒田市市条にある神社。出羽国総社とも推定され、近代社格では県社。旧称は一条八幡宮、これにちなんで一条八幡神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

出羽山地より流れ出た荒瀬川が、庄内平野に向かって開ける市条地区に所在する。市条の名は、条里制に由来する。

創建は、平安時代の元慶元年(877年)に、出羽国国司藤原朝臣により、蝦夷討伐を祈願して、石清水八幡宮を勧請したことに始まる。

一説には小野篁による勧請とも。主祭神は、応神天皇仲哀天皇神功皇后

建立当時の出羽国府「城輪柵」に近く、出羽国府宮、つまり総社ではなかったかと推定されているが、諸説あり、いまだ断定はされていない。論社としては他に、鶴岡市上藤島の六所神社、秋田市の総社神社がある。

また、出羽国の一国一社の八幡宮、いわゆる国府八幡宮や、出羽国分寺の守護神である国分八幡宮は不詳ではあるが、これらを当社が兼ねていた可能性はある。

清和源氏の崇敬により、八幡信仰が全国的に伝播するようになると、当社は代々の国司、郡司、民衆の信仰を集めるようになった。室町時代に編纂された『一条八幡宮祭礼日記』に詳しい。

室町時代の永享年間(1429年-1441年)には、当社周辺に堀を廻らして荒瀬川の水を引き、寄進された周囲の田畑への灌漑を行った。

戦国時代には最上義光、江戸時代には庄内藩主酒井家や酒田の豪商本間家から寄進を受け、崇敬された。

明治9年(1877年)、県社に列せられた。現在は、建御名方神甕速日神経津主神武甕槌神樋速日神菅原道真を配祀する。

例祭は5月1日。飛澤神社とともに行う奴振りと大名行列がある。若者たちが「奴」の姿に扮し、毛槍や挟み箱、棹などを手に町を練り歩く。また、流鏑馬が荒瀬川河川敷で行われる。

観音寺祭りとも呼ばれるこの祭りでの最大の見どころは当社境内で行われる作占い鳥居越えで、18時頃に行われる。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣・商売繁盛、諸願成就
八幡神社(酒田市市条) - 平安期勧請の一条八幡、出羽国総社とも、5月に奴振りと流鏑馬
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八幡神社(酒田市市条)の御朱印