東北地方の熊野信仰の中心地、伊達家と繋がり、熊野堂神楽・舞楽
[住所]宮城県名取市高舘熊野堂字岩口上51
[電話]022-386-2824

熊野神社(くまのじんじゃ)は、宮城県名取市高舘熊野堂にある神社。熊野本宮社熊野那智神社とともに名取熊野三社の一つで、旧称は熊野新宮社(くまのしんぐうしゃ)。近代社格では県社。熊野堂神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

中央の新宮社証誠殿には速玉男尊、東側の那智飛龍権現社には事解男尊、西側の本宮十二社権現社には伊弉冉尊を祀る。この本殿群の建造物は、県の有形文化財に指定されている。

また、十二社権現社の西にある老女宮には名取老女と、神代文字(阿比留草文字)で「ククリヒメノオオカミ」と書かれた木札を祀る。

平安時代の保安4年(1123年)、紀州熊野を模し勧請した名取熊野三社の一つとして創建された。以来、東北地方における熊野信仰の中心地として隆盛を誇った。

かつて境内には若王子御宮(白山宮)、八社神宮、護法善神宮、稲田宮、人皇七十四代宗仁天皇宮が存在したが、現在はいずれも消失している。

若王子御宮は現在老女宮に祀られる菊理媛神の元宮と思われる。なお八社神宮については現在、玉垣内の8本の角柱として祀られる。

中世には名取熊野別当が置かれ、宗教的にも軍事的にも大きな権力を持ったという。

伊達氏の時代において、永正11年(1514年)、伊達稙宗が神領の棟役段銭を免除したことを先例として、晴宗、輝宗、政宗による免除が行われ、以後、歴代仙台藩藩主の種々寄進、奉納を受け伊達家と深い結びつきを持った。

名取熊野三社の中でも最も中心をなしていたため、後に熊野新宮社、熊野本宮社、熊野那智神社を合祀し、熊野神社と改称した。

明治になり、神仏合祀が禁じられたことで、当社所蔵の本地仏をはじめ、法華経、一切経、大般若経、仏具など仏教色のものはすべて文殊堂に移され、その文殊堂も境内の南へ移動され、真言宗智山派の熊野山新宮寺に帰属することになった。

境内入口脇に建つ新宮寺文殊堂には現在、国の重要文化財に指定されている「新宮寺一切経」が伝わる。

大正10年(1921年)8月27日に郷社に列し、昭和10年(1935年)11月1日に県社に昇格した。

例祭は4月第3日曜日が春季例祭、10月第2日曜日が秋季例祭。春・秋の例祭時には熊野堂神楽が披露される。文治年間(1185年-1190年)に京都の神楽岡から伝わったものとされる。

春の例祭時にしか舞われないが、熊野堂舞楽も伝わっている。神楽殿での神楽奉納が終わってから、『古事記』を題材とした伝承5曲が拝殿正面の池の中に臨時に設けられた水上舞台で舞われる。

熊野堂舞楽は県内に伝わっている数少ない舞楽の一つで、代々7軒の社家によって相伝され、門外不出とされている。熊野堂神楽とあわせて、県指定無形民俗文化財。

また、熊野神社文書が市の有形文化財に指定されている。

【ご利益】
厄災除け、夫婦和合、家内安全
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熊野神社(名取市)の御朱印