日本で唯一、四国の覇者・長宗我部元親を祀る、菩提寺の雪蹊寺に隣接して創建
[住所]高知県高知市長浜857-イ
[電話]088-841-2464 - 若宮八幡宮

秦神社(はだじんじゃ)は、高知県高知市長浜にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。現在は近くに鎮座する若宮八幡宮の兼務神社である。

戦国時代、四国の覇者となった長宗我部元親は慶長4年(1599年)に没する。

慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で長宗我部氏は滅亡し、土佐は山内家が治めることになったが、雪蹊寺が元親の菩提寺となり、山内家は寺領100石を下し香典とした。

その後も寛政9年(1797年)5月には200年法要を、また嘉永元年(1854年)5月には250年法要を行うなど、手厚く弔ってきた。

しかし、明治になり廃仏毀釈によって、雪蹊寺は明治3年(1870年)に一時廃寺となった。

このため雪蹊寺跡に隣接して明治4年(1871年)4月7日に建立されたのが当社である。主祭神は長宗我部元親公之霊で、秦家累代の霊・家臣忠死者を配祀する。

社名は、長宗我部氏が中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことによる。元親を祀る神社としては日本で唯一。

長宗我部氏の子孫にあたる島弥九郎などが中心となり、雪蹊寺にあった衣冠束帯姿の長宗我部元親木像を御神体として安置した。

また、戸次川の戦い(1587年)で戦死した長宗我部兵の霊璽板(大位牌)も祀った。戸次川の戦いでは元親も最愛の息子・信親を亡くしている。

元親の位階は生前には従五位下で、死後に正五位が贈られたが、20世紀になり昭和3年(1928年)には正三位が追贈された。当社は昭和18年(1943年)8月に県社に列した。

当社建立時に雪蹊寺より移された絹本著色長宗我部元親画像が残る。現在は高知県立歴史民俗資料館に委託保管されている。国の重要文化財に指定されている。

他に、木造長宗我部元親坐像・長宗我部信親公忠死御供之衆鑑板が県保護有形文化財。

【ご利益】
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秦神社 - 日本で唯一、四国の覇者・長宗我部元親を祀る、菩提寺の雪蹊寺に隣接して創建
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秦神社の御朱印