檀林皇后の出生伝承、「松山の天神さん」と親しまれる7月に天神祭
[住所]愛媛県松山市北立花町2-4
[電話]089-931-6384

井手神社(いでじんじゃ)は、愛媛県松山市北立花町にある神社。近代社格では県社。神紋は山吹水。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は大山祇命木花開耶姫神。橘氏の祖で、正一位の位階を生前叙位した橘諸兄、檀林皇后として知られる橘嘉智子、諸兄の孫で嘉智子の父である橘清友を祀る。

往古、橘岡にあり大山祇神と木花開耶姫神を奉斎していた。橘清友が伊予国司となった際、橘諸兄の神霊を配祀し、井手大明神と称する。

清友が伊予国司となったことは確認されないが、清友はおよそ延暦年間(782年-806年)での活躍で知られる。清友は延暦8年(789年)、32歳という若さで早逝する。

その当時、清友の妻が懐妊した際、木花開耶姫神の御神徳を仰ぎ、床下に当社境内の砂を敷き、無事に後の橘嘉智子が生まれた伝えられる。

嵯峨天皇は平安時代の大同4年(809年)4月に即位し、橘嘉智子はそれ以前に入侍、弘仁6年(815年)7月13日に皇后に立てられた。いわゆる檀林皇后である。

檀林皇后にゆかりがあり、檀林皇后を祀る神社に京都府京都市右京区の梅宮大社がある。大山祇神・木花開耶姫神とも関連しているところも共通している。

また、当社が檀林皇后の出生における安産に御神徳があったのに対して、梅宮大社は檀林皇后自身の子宝と安産に関連しているというつながりもある。

その後、当社では清友と嘉智子の御神霊を合祀して五社八幡宮と称した。慶長年間 (1596年-1615年)、石手川の改修のため現在地に遷座した。

境内社に、素鵞神社・稲荷神社・祖神社・橘夷子神社・祖霊社や、橘天満宮・金刀比羅宮・厳島神社がある。また境内には河野通有像、針塚、筆塚がある。

河野通有は越智氏に連なり、伊予橘氏の祖となる。ただし、諸兄を祖とする京の橘氏とは全くの別系統とされる。伊予橘氏の流れから楠木正成が出る。

しかし、楠木正成の祖が諸兄という伝承は全国各地で根強く、佐賀県伊万里市の伊萬里神社や、長崎県雲仙市の橘神社でもその傾向が見て取れる。

境内社の中でも特に橘天満宮が知られ、現在では当社そのものも含めて、「松山の天神さん」として親しまれている。

当社の例祭は5月1日が春季例大祭で、10月6日が秋季例大祭だが、天満宮は1月25日が初天神祭、7月24日・25日が天神祭。

特に天神祭は、木屋町の鐘馗さん、松山市駅前のお日切さんとともに松山三大夏祭りと呼ばれ多数の人で賑わう。

にっぽんたちばなが、市の天然記念物に指定されている。

【ご利益】
安産、学業・受験合格、立身出世
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井手神社(松山市)の御朱印