縄文祭祀の遺跡がある、4月例祭は神楽獅子・火縄銃発砲・神輿行列
高田神社(岐阜県飛騨市古川町太江神垣内2669)
[住所]岐阜県飛騨市古川町太江2669
[電話]-

高田神社(たかたじんじゃ)は、岐阜県飛騨市古川町太江にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 飛騨国 荒城郡「高田神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

当社の境内の近くには縄文時代中期の聚落跡とされる五番屋敷遺跡があり、多くの遺物や建石など祭祀遺跡が発見されており、非常に古くから祭祀が行われていた地。

創建時期は不明。一説では第30代敏達天皇6年(577年)、飛騨国に日奉部が置かれ際、その伴造が高魂命を祀ったのが最初という。

建武の新政に功績のあった姉小路家綱は、建武元年(1334年)に飛騨国司に任命される。家綱は当社を崇敬し、隣接して館を設け飛騨の政治の中枢となる。

しかし天正年間(1573年-1593年)になり、姉小路氏が金森長近により滅亡すると、当社も衰退する。

江戸時代は白山社・白山権現宮・栃本白山社(白山比咩命)と呼ばれる。文化年間(1804年-1818年)に吉田家により当社が式内社「高田神社」であることが確認され、現社号に改称した。

この「高田」タカタは、高台にある水田を意味するとされ、当社現在地の西方50メートルあまりの湿田には古墳時代の祭祀に使用されたとみられる土器が数多く出土し、当時から神饌田があったとも考えられている。

式内社「高田神社」は、『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)に正六位上に、『日本三代実録』によれば、貞観9年(867年)に従五位上に叙されている。

しかし、当社が正式に式内社「高田神社」と称することが認められたのは明治3年(1870年)のことである。飛騨国総社である飛騨総社には当社の御祭神が合祀されている。なお、他の論社には飛騨市古川町の貴船神社がある。

明治5年(1872年)に郷社に列する。明治40年(1907年)に諏訪神社(建御名方命)、多度神社(天津彦根命)、加茂神社(賀茂別雷命)を合祀する。同年、神饌幣帛料供進神社に指定される。

例祭は4月28日で、神楽獅子、火縄銃発砲、神輿行列がある。神楽獅子は二人一組による雌雄二組の獅子舞で、演目6種がある。県の重要無形民俗文化財。

火縄銃発砲は、例祭の要所要所で行なわれ、神域を清める。火縄銃は戦国時代、姉小路時光(小島時光)が奉納したものと伝えられる。

神輿行列は、榊、天狗を先頭に、鎧武者、鶏闘楽、雌雄獅子、太鼓、笛、巫女、神輿と続く総勢数百名の行列からなる。

かぶとと随神像が市指定有形文化財、大五本スギが市の天然記念物に指定されている。御神木の大杉は五柱神杉・五程杉などとも呼ばれ、当社御祭神5柱が奉斎されている。

境内社に秋葉神社がある。

【ご利益】
地域・家内安全、諸願成就
高田神社(飛騨市) - 縄文祭祀の遺跡がある、4月例祭は神楽獅子・火縄銃発砲・神輿行列
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