越後・会津・出羽の国境「飯を豊かに盛るが如き」山容の5神を祀った五社権現
飯豊山神社(福島県喜多方市山都町一ノ木字中在家乙1760番地のロ、1761番地)
[住所]福島県喜多方市山都町一ノ木字中在家乙1760番地のロ、1761番地
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飯豊山神社(いいでさんじんじゃ)は、福島県喜多方市山都町に麓宮がある神社。飯豊山地主峰である標高2102メートルの飯豊山南峰山頂に奥宮がある。近代社格では県社。五社権現とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。

飯豊山地は、「山容飯を豊かに盛るが如き」と表現され、これが飯豊の語源。白雉3年(605年)、中国から渡来した僧知道と、修験道の開祖役小角が飯豊山頂に登って開創したと伝わる。

飯豊山地を5神の王子に見立てて、一王子、二王子、三王子、四王子、五王子を飯豊山地の御祭神として祀った。創祀には諸説ある。

飯豊山を御神体山とする信仰は、越後・会津・出羽の3国の境に立地し、その水は、阿賀野川・荒川・最上川に連なり、山野に恵みをもたらす所にまずは求められる。

飯豊山への参詣は、近隣の住民にとって、大人になるための通過儀礼であり、男子が13-15歳になると飯豊山に登るのがしきたりとなっていた。女人禁制が長く続いた。

文禄4年(1595年)、若松城主となった蒲生氏郷は、蓮華寺の僧宥明に命じて廃絶していた参詣道を整備させ、これ以降、麓宮がある一ノ木口が表参道とされた。

蒲生氏に代わった松平氏の時代にも、会津守護として手厚く保護された。山の反対側である米沢藩においても大日杉に岩倉神社が建立されるなど保護された。

江戸時代に禁を破って飯豊山中に入った「小松のマエ」という女が、神の怒りに触れて石に変えられた。登山道の横にある「姥権現」は、マエを祀ったもの。

麓宮は、拝殿のみで本殿はない。代わりに鎌倉時代末の技法がみられる銅造五大虚空蔵菩薩坐像5躯が安置されており、県の重要文化財に指定されている。

飯豊山中には、5王子にちなみ、かつては5箇所の社が設置され、各社には虚空蔵菩薩坐像が毎年の参詣登山期間に背負って運ばれ、1体ずつ安置された。

現在も御前坂から山頂に至る地名に一王子から五王子までの名前が残されている。奥宮があるのは四王子で、頂上は五王子となる。

奥宮は、山小屋である本山小屋に隣接し、社殿は積み石に囲まれており、その手前に鳥居が立てられている。夏は神職が詰めている。

登山道の最も危険な岩場を御秘所(おひそ)と言う。参拝の最大の難所とされ、ここを越えることで一人前の男として認められる場所だった。また、御秘所の、どのルートを越えたかによってもご利益が違ったという。

【ご利益】
身体壮健、リフレッシュ、健康長寿
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