『万葉集』に詠われた舳倉島に鎮座、輪島大祭の一社で、重蔵神社の妃神
[住所]石川県輪島市舳倉島高見2
[電話]0768-22-0871 - 輪島前神社

奥津比咩神社(おきつひめじんじゃ、奥津比め神社)は、石川県輪島市、輪島沖北方約50キロにある舳倉島に鎮座する神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「奥津比咩神社(能登国・鳳至郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

舳倉島は、大友家持が『万葉集』に「沖つ島」と詠った島であり(下記)、『今昔物語』では、「猫の島」と記される。
沖つ島 いゆき渡りて 潜くちふ 鰒珠もが 包みてやらむ
当社は、舳倉島にある大和田神社、八坂神社、金毘羅神社、無他神社、恵比須神社、伊勢神社、弁天社という七社の大宮的存在。

御祭神は田心姫命宗像三女神の1柱であり、後述するように、関係の深い輪島市河井町にある重蔵神社の妃神。奥津媛命とも見える。

戦国時代の永禄年間(1558年-1570年)、筑前国鐘ケ崎(現 福岡県玄海町)より能登国に渡来した海士又兵衛以下13名は、やがて舳倉島を根拠として漁業を営むようになった。

彼らは深く当社を崇敬し、故郷の宗像大社の信仰を受けて、当社を産土神と仰ぐようになったという。

もともとは現在の伊勢神社あたりに鎮座していたが、江戸時代初期に現在地に遷座した。

俗に「西ノ宮」「西宮」、あるいは「舳倉権現」と尊称される。近世までは名舟町に遥拝所があった。現在の白山神社

昭和50年、漁業の近代化や多様化で、一村挙げての舳倉島への季節移住もなくなったため、鳳来山麓の海士町に里宮を建立した。

海士町の里宮では、舳倉島の本社たる当社と末社、本州側と舳倉島の間にある七つ島の神々の御分霊をも奉祀する。当社や里宮は現在、輪島前神社の管理下にある。

例祭は8月22日。キリコが回転したりする暴れがあったり、火のついた松明が倒れた時に御幣を奪い合う「日本遺産」キリコ祭りとして知られる、輪島大祭を構成する一つ。

輪島大祭の他の三社では見られない神輿の入水神事があり、22日の他、重蔵神社の大祭である23日にも行われる。

8月23日の夜、当社の女神が、重蔵神社の男神と河井の浜で逢瀬、結婚し、すぐに出産となって、新たな神が生まれるという伝承がある。

島内には「深湾洞遺跡」「シラスナ遺跡」などがあり、弥生・古墳・奈良・平安の複合遺跡とされる。

また、島内には70以上の石積み(ケルン)があり、何らかの信仰によって築かれたものと考えられるが、詳細は不明。

干石船渡海船の模型と板図や舳倉島の祭祀資料などが伝わる。市指定有形文化財で、海士町自治会館に展示されている。

【ご利益】
水難除け、海上・交通安全、大漁満足、良縁・縁結び
奥津比咩神社 - 『万葉集』に詠われた舳倉島に鎮座、輪島大祭の一社で、重蔵神社の妃神
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