殿様の馬を元気回復した牛馬の神、大将軍市は大分郡市の三大市
[住所]大分県由布市挾間町篠原710
[電話]0977-84-3111

大将軍神社(だいじょうごんじんじゃ)は、大分県由布市挾間町にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

もとは京都に鎮座していた保食神伊邪那岐神岩長姫神を、加賀国篠原村に遷座した。

平安時代末期の寿永年間(1182年-1184年)、源平争乱に際して、安寧ではなくなった加賀を脱して、社司加藤兵部太夫が豊後国姫島に移る。

壇ノ浦の戦いの後、姫島から洗の里に転じ、時を待った。そのため、この里を時待と呼ぶようになり、現在も字名として、時松が残る。

ある夜、「一里東南方に清潔なる高山ありその山頂に遷座せよ」と神託があり、太夫はただちに同山に奉遷し、故郷の名を取り、同地を篠原と名付け、小倉山三柱神と称した。

江戸時代には、第3代藩主細川綱利が参勤交代で野津原まで来た時、馬の元気がなくなり、進もうとしなかったところ、当社で祈願するとすぐに元気になったという。

伝承では、細川綱俊とされているが、そうした藩主はいないので、同音の綱利のことであろう。綱利はお礼参りをし、その後も神輿などの奉納を行ったと伝わる。

もともと牛馬の神として知られていたが、これ以降、特にその信仰は高まり、牛馬の疾病快癒はもちろん、交通・農耕の守護神として厚く崇敬された。

代々領主の崇敬厚く、肥後藩10代藩主細川斉護(1804年-1860年)からは神輿と九曜紋付高張提灯の奉納があり、大友義鎮(1530年-1587年)奉納の太刀なども現存した。

ただし、この太刀は現在、明治期の神仏分離の混乱で、行方が分からなくなっているという。

明治12年(1879年)に、篠原村内の各小社の阿須波神波比岐神市杵島姫神素戔嗚尊・加藤清正公を合祀した。

また、小野村内各小社の大歳神・武岩立神・大山津見命櫛稲田姫命天水分神大国魂神倉稲魂神・崇徳天皇・菅原道真公を合祀した。

社名も大将軍宮・松原神社・保食神社と変遷したが、大正13年(1924年)に郷社に昇格した際に現社号に改称した。

毎年1月と9月の13日-15日に大祭が行われるが、特に1月13日の大祭初日にたつ市は、大将軍市として、柞原八幡宮の浜の市、賀来神社の賀来の市とともに大分郡市の三大市として有名だった。

当社大祭は農耕に欠かせなかった牛馬の安全や健康を祈願する祭典だったが、現在は無病息災を願う人々が参りに訪れている。

【ご利益】
牛馬の安全や健康、無病息災、病気平癒
大将軍神社(由布市) - 殿様の馬を元気回復した牛馬の神、大将軍市は大分郡市の三大市
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