鎌倉期創建、安土桃山時代からの卯の市、臼杵最古の獅子舞と巨木
[住所]大分県臼杵市大字井村字狭間1703
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三島神社(みしまじんじゃ)は、大分県臼杵市にある神社。臼杵五社の一つで、近代社格では郷社。三嶋神社と表記されることも。主祭神は大山祇神御朱印の有無は不明。

鎌倉時代後期の徳治2年(1307年)、弘安の役で武勲を立てた伊予国の豪族越智氏の流れを汲む河野六郎通有の嫡男、河野通忠(柚木谷八郎通忠)が、西海の海賊退治のため、大山祇神社の御分霊を奉じて渡海し、臼杵市芝尾に着いた。

熊崎川を挟んで対岸の芝尾に着岸後、通忠は、芝尾地区にある椎の木、通称「山の神様」の下に仮殿を造り、その御分霊を祭祀した。これが、当社の旧宮である。

延慶元年(1309年)、神宣があって、三ツ梅が実ったという現在の地に遷った。古来、大山祇神社は武人の崇敬が厚く、その例にならって、大友宗麟も崇敬した。

安土桃山時代の慶長元年(1596年)から卯の市が始まった。この市は、江戸時代になると布の値段を左右するほどに賑わい、藩が警備人員を出すほどだった。

江戸時代の明和9年(1772年)には疫病除のため獅子舞が始まった。臼杵最古の獅子舞で、下記四点の特徴がある。

・獅子が胴衣の中ほどに「弓」と呼ぶ胴輪を入れる
・尻には「篭」と呼ぶ尻当てを入れる
・猿面の太鼓打ちが付く
・笛吹きが肩衣を着ける

文政10年(1827年)、臼杵藩第11代藩主稲葉雍通が老臣岡部隼人治方を遣わせて代拝、幣帛を奉献し、安政6年(1859年)には臼杵藩第14代藩主稲葉観通が参拝している。

明治に入ると、卯の市から派生して、牛の大市が開かれるようになり、盛況を呈した。

明治9年(1876年)に臼杵市大字井村に鎮座する4社、菅原神大年神豊受神(2柱)を合祀して井村神社と改称した。

明治18年(1885年)4月にも同市大字大野村に鎮座する1社、菅原神・大年神・品陀和気命高龗神を合祀、同年9月には藤河内神社を合祀した。

昭和4年(1929年)3月に拝殿を改築し、昭和28年(1953年)10月8日、現社号に改称した。

例祭は4月第3土曜日と12月10日で、4月第3日曜日に春卯の市まつりが、12月第1日曜日に冬卯の市まつりが行われる。三輪流臼杵神楽が伝わる。

境内社に稲荷神社(御祭神:保食命)、祇園社(御祭神:素盞嗚命大己貴命稲田姫命)、地主神社(御祭神:軻遇突智命)の3社がある。

境内には樹高25メートル、目通り幹囲7.2メートル、樹齢600年と伝わるクスノキの巨木がある。

【ご利益】
海上・交通安全、水難除け、商売繁盛、厄災除け
三島神社(臼杵市) - 鎌倉期創建、安土桃山時代からの卯の市、臼杵最古の獅子舞と巨木
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