八幡神が鷹の姿になって出現して奈良初期に創建、化粧井戸・凶首塚・百体宮
鷹居神社(大分県宇佐市上田字1435)
[住所]大分県宇佐市上田字1435
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鷹居神社(たかいじんじゃ)は、大分県宇佐市にある神社。宇佐神宮にゆかり深く、宇佐神宮行幸会八社の一つである。近代社格では県社。御祭神は仲哀天皇神功皇后応神天皇御朱印の有無は不明。

奈良時代初期、元明天皇の和銅5年(712年)の創建と伝わるが、その伝承は第30代敏達天皇元年、つまり八幡神が初めて顕現したとされる年の次の年まで遡るものもある。

和銅元年(708年)、八幡神は鷹の姿となって、駅館川のほとりの松の木に現れた。そのため、大神比義と辛島勝乙目が神殿を立てて奉斎したという。

高居社とも表記される。また、鷹居瀬社とも。ただしこれは、鷹居社と瀬社の意か。前者は当社だが、後者は現在、郡瀬神社と呼ばれている。

辛嶋氏伝承では、八幡神は、第29代欽明天皇の御代に初めて顕現後、各地を巡行し、乙咩神社泉神社、郡瀬神社、当社、小山田神社、現在の宇佐神宮へと移ったとする。

ただし、この遷座の順番は、各社の由緒などを照らし合わせると、矛盾をはらむ場合もあり、順序自体は確定できない。これら各社が行幸会八社となっていくことは間違いない。

当社の東より、宇佐神宮西参道までの道を勅使道といい、隼人ゆかりの化粧井戸・凶首塚古墳・百体宮(百体神社)などがある。

養老4年(720年)に朝廷が大隅・日向の隼人を討伐した際、宇佐八幡の神軍も参加し、隼人の頭(首)を持ち帰って、塚に葬ったと伝えられるものが凶首塚古墳である。

ただし、この古墳は出土物などからか6世紀末頃の横穴式石室と断定されてきており、大隅・日向の隼人討伐とは時代がずれる。

この隼人の霊をなぐさめるため、宇佐宮では放生会が始められるが、その霊が祀られたのが百体社である。

化粧井戸は放生会に参加した福岡県吉富町の八幡古表神社と、大分県中津市の古要神社のそれぞれの傀儡子を洗ったと伝えられている。

この傀儡子は現在、それぞれ「八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲」「古要神社の傀儡子の舞と相撲」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒、諸願成就
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