数百年の歴史がある獅子舞が伝わる、平安期に阿蘇大明神を奉斎して創建
[住所]熊本県上益城郡益城町砥川字宮ノ本2027
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砥川神社(とがわじんじゃ)は、熊本県上益城郡益城町にある神社。近代社格では村社。現在は浮島神社の兼務神社。砥川宮(とがわぐう)とも、阿蘇神社の末社とされたために砥川阿蘇神社とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。

御祭神は天照大神と、健磐龍命・阿蘇都比咩命など12柱の阿蘇十二神。

社伝によれば、平安時代の天慶年間(938年-947年)に藤原師輔が讒言により当地へ流罪となり、3年あまり謫居したが、阿蘇十二神に祈念することで免されて都へ帰ることとなった。

そこで、流謫中に儲けた一子を西遠寺(または西園司)左金吾氏続と名付けて当地へ残したところ、氏続は長じて当地の領主となった。

正暦2年(991年)のある日、阿蘇大明神(阿蘇十二神)の使いと称する老人が氏続の夢中に訪れ、屋敷の北側の梛の林を阿蘇大明神が鎮座地として所望していると告げられる。

その夢告に従い同年9月19日に阿蘇大明神を勧請し、自らその祭祀を司った。これが当社の創祀となる。

延久4年(1072年)、菊池則隆が武運長久を祈願して社殿を再興し、50町を社領として寄進した。

久寿年間(1154年-1156年)には九州へ下向した源為朝も社殿を修造し、改めて阿蘇大明神を勧請、社領を寄進したため、あわせて24柱を祀る神社となった。

治承年間(1177年-1181年)には平重盛が山城国から稲荷神を勧請して境内に祀ったという。

延文4年(1359年)に菊池武光が社殿を修造するとともに懐良親王からは位階と綸旨を賜ったと伝える。

応永11年(1404年)には室町幕府領とされ、阿蘇神社大宮司阿蘇惟村が代官とされ、このタイミングで同社の末社に位置付けられたとも考えられる。

天正16年(1588年)に小西行長の焼き討ちに遭って社殿や古記録を焼失し、社宝も奪われたものの、御神体は避難させており、慶長6年(1601年)に加藤清正により再興された。

近世には十二宮大明神社とも称され、その祭日である9月19日には近郷諸村からの参詣者も多く、花火が打ち上げられるなど賑わったという。

その花火の製造や打ち上げの方法は秘伝として、社家であった西園寺家に伝えられているという。また、拝殿には、明治期の西南戦争の時の砥川合戦の絵馬が、歴史の貴重な記録として残されている。

現在、例祭は10月17日で、五穀の豊穣を感謝する獅子舞が奉納される。300年-400年前、飢餓・疫病が流行り、神頼みのために奉納したのが始まりだという。

それ以来、飢餓・疫病がないため、「ここの神さんは獅子が好きなのだ」と言われるようになった。現在は熊本市の健軍神社へも奉納に行く。

オンジシ(雄獅子)、メンジシ(雌獅子)それぞれ2人立ち。「獅子つり」をする子供を「つる子」と言い、翌年小学生にあがる子供が担う。

【ご利益】
開運招福、厄災除け、病魔退散、家内安全
砥川神社 - 数百年の歴史がある獅子舞が伝わる、平安期に阿蘇大明神を奉斎して創建
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