1000年以上続く火の攻防「火の神祭り」、肥後勤皇党・敬神党の崇敬社
[住所]熊本県熊本市西区松尾町近津953
[電話]096-329-1146 - 熊本市西区役所

近津鹿島神社(ちこうづかしまじんじゃ)は、熊本県熊本市西区松尾町にある神社。近代社格では村社。近津鹿島宮とも。御朱印の有無は不明。

御祭神は武甕槌神。例祭は10月14日で、その際の神事である「火の神祭り」で知られる。

社伝によれば、もともと宇土宮という前宮が祀られていた。

平安時代、宇多天皇の寛平5年(893年)、藤原南家4代目民部卿藤原保則が、常陸国鹿島神宮より御分霊を勧請し、宇土宮を改築造営して、鹿嶋宮と改称し奉斎した。

また、その昔、白馬に乗じた白髪の老翁が「吾は鹿島大神である。此地に鎮まり座する」と海底より現れる神夢を見たので、明くる朝、海岸に出てみた。

波打ち際に馬の形に見える大石があり、そこに神の姿が見えたので、その石を鹿島大神の御神体として祀った、との伝えもある。

明治5年(1872年)、村社に列した。新開大神宮別所琴平神社山崎菅原神社鐙田杵築神社などとともに肥後勤皇党や神風連の変を起こした敬神党に多大な影響を与えた幕末の国学者林桜園、及びその門下生が尊崇した神社のうちの一社である。

創建とほぼ同時期だろうか、9世紀、近隣の海を荒らし近津の港を襲ってきた新羅国の海賊を、住民達が背後の山から木を切り出し、火を点けて海賊に投げ防戦したという戦いが、「火の神祭り」の起源。

近津火ノ神まつりとも呼ばれるこの祭りが、もしかすると当社の創建に関わってくるのかもしれない。御祭神は日本を代表する武人。武の神に祈りを捧げる必要性から、当社が奉斎されたとも考えられる。

祭りは、地元の男たちは攻め手と守り手の既婚者と独身者に分かれ、攻め手となる既婚者が火のついた木の枝を拝殿に向かって投げつけると、守り手となる独身者が木の棒でたたき落とし、火の粉が激しく飛び散る。

【ご利益】
武運長久・勝運、身体壮健、火防
近津鹿島神社 - 1000年以上続く火の攻防「火の神祭り」、肥後勤皇党・敬神党の崇敬社
【関連記事】
熊本県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、熊本県に鎮座している神社の一覧