「ぎょんさま」と親しまれる7月の祇園祭・臼杵祇園まつりが有名
[住所]大分県臼杵市大字臼杵1
[電話]0972-62-3673

八坂神社(臼杵市)(やさかじんじゃ)は、大分県臼杵市の祇園南(祇園洲)にある神社。臼杵五社の一つで、臼杵藩総鎮守。近代社格では県社。祇園様(ぎょんさま)として親しまれている。参拝すれば、御朱印を頂ける。

臼杵川のほとりに位置し、臼杵城跡から臼杵川に向かって続く石畳の通りの突き当りに鎮座する。当社に向かう石畳には、臼杵藩の藩主だった稲葉家の旧稲葉家下屋敷や旧平井家住宅などが立ち並ぶ。

建速須佐之男神大名牟遅神櫛名田比売神を祀る。平安時代の承徳元年(1097年)の創建といわれる。

元来は、天延元年(972年)に藤原道兼が牛頭天王をはじめとする祇園三所天王を奥州磐前郡(現 福島県いわき市)に勧請したものであった。

しかし、後三年の役(1083年-1087年)の混乱を避けて、海路、安芸国尾道(現 広島県尾道市)を経て、臼杵湾の洲崎岩ヶ鼻に至り、神の木原(現 原山地区)に鎮座したと伝えられる。

現在、武家屋敷が残る二王座の名は、かつて当社の仁王門があったことに由来するとされる。

戦国時代には、臼杵に本拠地を置いて豊後国を治めた大友宗麟がキリスト教に帰依し、神道や仏教は迫害を受け、焼き討ちに遭う寺社も多かった。

当社も臼杵湾沿岸の岩窟や、津久見、日向国飫肥にまで遷座を余儀なくされた。

しかし、大友氏が文禄2年(1593年)に改易されると、慶長3年(1598年)、太田一吉の治世に臼杵城三の丸であった現在地に鎮座した。

江戸中期の建立とされる本殿が現存し、現在は県の有形文化財に指定されている。かつては祇園宮と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に、神仏分離令や廃仏毀釈運動によって、現社号に改称した。

7月中旬に祇園祭が行われる。臼杵祇園まつりで、日田祇園祭、中津祇園と並んで、大分の三大祇園祭の一つ。県の無形民俗文化財に指定されている。

臼杵藩第4代藩主稲葉信通が、寛永20年(1643年)に実施した御神幸が起源だとされる。神輿や山車を中心とした2000人を超える行列が「ミョウサヤ、チョウサヤ」という掛け声とともに海添の御旅所に渡る。

毎年11月にはうすき竹宵が行われる。真名長者伝説にちなむ催しで、市街各所に竹ぼんぼりが灯され、般若姫行列などが行われる。

当社は、うすき竹宵の7日前に行われる七宵の会場となるほか、般若姫行列の出発地になっている。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、夫婦和合
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