島津義弘を祀る、関ヶ原の奇跡の生還にちなむ妙円寺詣りと、大バラ太鼓踊り
[住所]鹿児島県日置市伊集院町徳重1786
[電話]099-272-3975

徳重神社(とくしげじんじゃ)は、鹿児島県日置市伊集院町にある神社。近代社格では県社。薩摩島津氏第17代当主島津義弘を精矛厳健雄命(くわしほこいずたけをのみこと)として祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

現在は「とくしげじんじゃ」と読み慣わしているが、本来の読み方は「さきへじんじゃ」であったという。義弘は父島津貴久と伊集院壱宇治城で16歳の時まで過し、深くこの地を愛したという。

幼少より薩藩の教えの父といわれる日新公(島津忠良=竹田神社の御祭神)の薫陶を受け、生涯50数度の合戦に明け暮れながら、治世愛民に心を尽くし、殖産興業・水利開墾を図った。

慶長9年(1604年)、自ら妙円寺を菩提寺と定め、300石の寺領を寄進し、自身の木像を安置。この木造は現存しており、市指定有形文化財。元和5年(1619年)7月11日に薨去。

明治になり、明治2年(1869年)に廃仏毀釈で妙円寺は廃寺となった。その跡地に、明治4年(1871年)に創祀されたのが当社。なお、妙円寺は後に当社の西側に復興している。

島津家全体の菩提寺である福昌寺も廃絶となり、竜尾神社(現 鶴嶺神社)が創建されると、旧福昌寺所蔵の義弘に関する品々が引き渡されたという。

妙円寺詣りという祭事がある。

義弘が奇跡的な生還を遂げた関ヶ原の戦いが旧暦9月15日にあったことを記念し、その前夜にあたる旧暦9月14日、甲冑に身を固めた鹿児島城下の武士たちが、鹿児島市から伊集院町間の往復40キロを夜を徹して歩き参拝したことに端を発する。

平成5年(1993年)からは、多くの人が参加できるよう毎年10月第4土・日曜日に開催され、毎回約8万人が妙円寺詣りのため、伊集院町の地に足を運んでいるという。

鎧冑に身を固めた武者行列、火縄銃の一斉射撃、示現流の演武、「太田太鼓踊り」「徳重大バラ太鼓踊り」など郷土伝統芸能や民俗芸能の奉納などが夜遅くまで次々と行われる。

また、境内で行われる弓道競技をはじめ相撲、剣道、柔道、銃剣道、空手など武道を中心とした体育行事大会の競技や、生花、茶道なども行われる。

そのうち、徳重バラ太鼓踊は県指定無形民俗文化財で、義弘が慶長の役の泗川新塞城で明軍20万を討って快勝した際に使われた大太鼓に起源を持つという。

江戸時代には妙円寺詣りとともに人気となった心岳寺詣りが平松神社にあり、現在復興中だという。なお、姶良市加治木町の精矛神社も義弘を奉斎している。

【ご利益】
武運長久・勝運、一族繁栄、家内安全
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徳重神社の御朱印