関ヶ原の戦い前に徳川家康が参詣、からくり山車の石刀祭り
[住所]愛知県一宮市今伊勢町馬寄石刀2
[電話]0586-73-5221

石刀神社(いわとじんじゃ)は、愛知県一宮市今伊勢町にある神社。『延喜式神名帳』にある「石刀神社(尾張国・中島郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は手力雄命豊斟渟尊国常立尊・国狹槌尊。第10代崇神天皇の代、石刀社として創建されたという。

創建された地は尾張国中島郡四条と伝えられている。現在も一宮市には三条という地名が残り、その北部の一宮市から羽島市付近と考えられる。

旧社地と考えられる羽島市桑原町には八剱神社があり、同社も式内社「石刀神社」の論社。また、一宮市浅井町にも当社や式内社と同名の神社があり、やはり式内論社。

当社の本殿は西向きであるが、これは旧社地を向いているためとの指摘がある。木曽川の流れに沿う地であり、昔から水害が絶えなかったという。

その後、平安時代初期の檀林皇后(嵯峨天皇皇后、786年-850年)によって現在地近くに移転したという。ただし、現在地への移転は14世紀ごろ、南北朝時代とも言われている。

江戸時代に三明神社と称された。これは伊勢の神宮(伊勢神宮)の分社を合祀したため。この地は平安時代の天慶年間(938年-947年)から、伊勢神宮の神戸であった。

この際、及びそれ以降に合祀された神々として、天照大神伊弉冊尊豊宇気毘売命菊理媛命大己貴命などがある。

慶長5年(1600年)、西へ向けて進軍中の徳川家康が訪れ参拝する。その際、三明神社に陣を設置したので、社殿の破損、建造物の一部が取り壊された。

関ヶ原の戦い後の慶長13年(1608年)に再建される。この再建を祝って始まったのが現在まで続く石刀祭りとされる。

昭和13年(1938年)に現社号に改称し、昭和15年(1940年)には県社になる。境内社に御霊神社・稲荷社・龍神社がある。

例祭は4月19日および直後の日曜日。石刀祭りで、「はなれからくり」で有名な3両の山車が曳かれる。戦前までは5両だったが、太平洋戦争の空襲で2両が焼失した。

山車の形式は、上層・中層・下層の3層からなり、欄間の装飾が異なるほかは3両とも同じ形式。下層が囃子場、上層がからくり演出場。

【ご利益】
力の神、武運長久・勝運、開運招福
石刀神社(一宮市今伊勢町) - 関ヶ原の戦い前に徳川家康が参詣、からくり山車の石刀祭り
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石刀神社の御朱印