ヤマトタケルが大和廣瀬大社を勧請した式内社、10月に神輿巡幸
[住所]埼玉県狭山市広瀬2-23-1
[電話]04-2953-2606

広瀬神社(ひろせじんじゃ)は、埼玉県狭山市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 入間郡「廣瀬神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

主祭神は若宇加能売命(わかうかのめのみこと)。相殿神として神火産霊命木花咲耶姫命八衢比古命・八衢比売命・久那斗命の5柱を祀る。

社伝によれば第12代景行天皇の時代に日本武尊が東征の折、この地を通りかかった際、この地が大和国広瀬郡川合(現 奈良県北葛城郡河合町)に似ていた。

そこで、大和国広瀬郡川合の地に祀られていた廣瀬大社の神々を分祀し、武運長久と五穀豊穣を願ったのが起源だという。

若宇加能売命は廣瀬大社の御祭神で、伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の豊宇気比売大神伏見稲荷大社宇加之御魂神と同神。

ただし、廣瀬大社側の資料には当社のこと、及び武蔵国への分祀の記録はないという。

『文徳天皇実録』嘉祥3年(850年)年6月3日条に「詔以武藏國廣瀬神。常陸國鴨大神御子神主玉神。並列於官社」として、官社に列せられたことが記されている。

江戸時代には新義真言宗の宝蔵寺(現在は廃寺)が別当寺となり、上広瀬村・下広瀬村の鎮守となった。なお、文政6年(1823年)11月に宝蔵寺の火災の延焼により古文書を焼失している。

明治6年(1873年)に郷社に列せられたが、社格が低すぎるとして当社の神官であり名主であった清水宗徳が社格を上げるよう運動し、翌明治7年(1874年)に県社へ昇格した。

また同時期に境内に「幼育学校」を創立、神官の育成に努めてもいる。明治40年(1907年)、愛宕神社(八衢比古命・八衢比売命・久那斗命)と浅間神社(木花咲耶姫命)を合祀した。

明治42年(1909年)には境内北隅にあった本殿を中央に移し、拝殿を新築。現在の建物は昭和50年(1975年)に改築修繕されたものである。

例祭は4月4日。毎年10月半ばの日曜日に秋季大祭があり、市指定文化財になっている神輿が白装束となった担ぎ手に担がれ地区内を巡行する。

境内社に、稲荷神社・八幡大神社・霞神社がある。霞神社は広瀬地区出身の戦没者を祀る、いわゆる招魂社。

境内参道入口横と拝殿前に各1本ずつそびえ立つケヤキの大木があり、御神木。現在は2本だが、『新編武蔵風土記稿』によれば、かつては3本であったという。

双方ともに樹齢約800年、高さ30メートル、幹回り6メートルを超える巨木で、県内でも極めて珍しい。県指定記念物・天然記念物。

なお、境内には狛犬が存在しない。これは主祭神が女神であり、荒々しいものを嫌うとされているため。また社叢は「狭山市廣瀬神社社叢ふるさとの森」に指定されている。

なお、式内社としての広瀬神社は、大和国の他、伊豆国にもある。

【ご利益】
衣食住全般、火防、安産、交通安全
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