ヤマトタケルが創建した式内三社とも、前田利家お手植えの梅
[住所]埼玉県所沢市小手指元町3-28-29
[電話]04-2948-0653

北野天神社(きたのてんじんしゃ)は、埼玉県所沢市にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

正式名称は物部天神社・国渭地祇神社・天満天神社で、当社名は三つの神社の通称である。例祭は3月21日で、春の例大祭。

御祭神は、古くから「北野天神九座」と称されたが、現在は、物部天神社の御祭神である櫛玉饒速日命、国渭地祇神社の御祭神である八千矛命、天満天神社の御祭神である菅原道真公。

第12代景行天皇の皇子日本武尊が東征の時、当地に入り、軍の渇きを凌ぐために井戸を掘った。「堀兼の井」と呼ばれる。この際に老翁が登場して、水源を教えたと伝わる。

日本武尊は、ここに神々を奉斎すれば、戦わずして敵軍は降伏させることができると聞き、物部天神社・国渭地祇社・出雲伊波比神社(出雲祝神社)の三社を勧請したという。

この三社はいずれも『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 入間郡に記載されている式内社(小社)である。出雲伊波比神社については当社を含め、複数の論社がある。

出雲祝神社は現在の社名には含まれていない。当社への出雲祝神社の合祀は一説とみる向きがある。論社としては、川越氷川神社出雲伊波比神社出雲祝神社がある。

現在の天満天神社は、長徳元年(995年)に菅原道真の5世の子孫菅原修成が武蔵守として京都北野天満宮より勧請し、その後は源義家、源頼朝、足利尊氏により社殿が造営された。

その後衰微するが、天正19年(1591年)に道真の末裔を称した前田利家が小田原攻めの際に当社を再興、その際に植えたといわれるのが大納言梅で、現在のものはその二代目。

徳川家康より社領8石の御朱印状を拝領、慶安2年(1649年)には社領50石へ加増された。

『江戸出開帳』によれば、享保7年(1722年)4月1日-6月1日、江戸の旧目白不動院長谷寺にて、当社の御神体の出開帳が行われ、また期間中4月24日に社宝の掛幅や文書などが将軍の意向により江戸城内に提出された。

明治5年(1872年)には郷社に、明治34年(1901年)には県社に昇格、大正元年(1926年)9月に富岡村の小手指神社と稲荷神社を合祀した。

拝殿は入母屋造りであるが、他に類を見ない、極めて簡潔な造りで、その裏手の一段高くなっているところに三間社流造の本殿がある。

棟札によれば、拝殿・本殿とも安永7年(1778年)の造営で、その後しばしば修理が行われている。また、境内社には、諸神宮・文子神社・石宮神社・八雲神社・稲荷神社・小手指神社がある。

境内には、大納言梅の他に、日本武尊が社前に植えたとされる尊桜(みことざくら)があり、尊桜の歌碑は享和2年(1802年)の建立、同市内では最古の歌碑であり、市指定文化財。

絹本着色掛幅全7幅・旧軸木7本の絵画・北野天神縁起が県指定有形文化財、足利氏満社領寄進状ほか計11通の古文書・北野天神社中世文書が市指定文化財。

【ご利益】
武運長久、家内安全、諸願成就
北野天神社(所沢市) - ヤマトタケルが創建した式内三社とも、前田利家お手植えの梅
【関連記事】
埼玉県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
埼玉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、埼玉県に鎮座している神社の一覧
北野天神社の御朱印