持統朝の創建、戦国時代に本庄繁長が出羽神社を勧請、村上大祭が有名
[住所]新潟県村上市羽黒町6-16
[電話]0254-52-3617

西奈弥羽黒神社(せなみはぐろじんじゃ、西奈彌羽黒神社)は、新潟県村上市羽黒町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「西奈彌神社(越後国・磐船郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

当地では単に羽黒神社と呼ばれる。もともとの御祭神は奈都比売大神(奈津比売命・奈津姫命)で、その後に出羽三山から分祀された倉稲魂命月読命も主祭神とされた。この三神が江戸時代の羽黒三所権現となる。

飛鳥時代の持統天皇元年(687年)の創建と伝わる。もともとは西奈彌山の頂上に鎮座していた。

天正年間(1573年-1593年)、当地を治めていた本庄繁長は、出羽庄内の大宝寺氏を救援するため、最上氏・東禅寺氏(大宝寺氏家臣)と対立。

繁長は出羽三山の一つ出羽神社に祈願したところ見事勝利を収めた。このことから繁長は出羽神社の神を分祀して当社に合祀し、当社を総鎮守とした。

その後、村上藩2代藩主村上忠勝(在位:1616年-1618年)の時に、社地は西奈彌山頂からその中腹へと移った。藩主が堀氏へと変っても同じく崇敬された。

村上藩3代藩主堀直寄(在位:1618年-1636年)は村上城の改築を行い、三層の天守が作られた。

しかし、天守からは当社を見下ろすことになってしまい恐れ多いとして、寛永10年(1632年)、現在地に社殿を造営して遷座した。

この時より当社名を羽黒三所権現とした。遷座の日は旧暦6月7日で、以降この日が例祭日とされ、明治の太陽暦採用以後は月遅れの7月7日とされた。

その後も村上藩は藩主家がころころと変わったが、やはり歴代藩主に崇敬された。

元禄3年(1690年)に村上藩主榊原勝乗が建立した境内社・神明宮の社殿が現存し、現在は県有形文化財に指定されている。

明治3年(1870年)に現社号に改称、明治27年(1894年)には郷社に、昭和3年(1928年)には県社に昇格した。

例祭である7月7日はその前日とあわせて村上大祭。村上市三大祭りの一つ、新潟県三大祭りの一つ。また、蒲原まつり、柏崎えんま市と並んで、新潟三大高市の一つ。

おしゃぎりという巨大な屋台が複数市中を練り歩く光景は壮観。

式内社「西奈彌神社」の論社は他に、同市瀬波浜町の西奈彌神社(西奈弥神社)がある。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、厄災除け、交通安全
西奈弥羽黒神社 - 飛鳥朝の創建、戦国時代に本庄繁長が出羽神社を勧請、村上大祭が有名
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西奈弥羽黒神社の御朱印