越後の「蔵王さま」、樹齢800年の大欅と、7月の例祭には流鏑馬神事
[住所]新潟県長岡市西蔵王2-6-19
[電話]0258-32-2337

金峯神社(きんぷじんじゃ)は、新潟県長岡市西蔵王にある神社。明治時代までは蔵王権現で、近辺では「蔵王さま」と呼ばれている。御祭神は金山彦命。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「宇奈具志神社(越後国・古志郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

和銅2年(709年)、元明天皇の勅願により北国鎮護のため大和国吉野山の蔵王権現を分霊して古志郡楡原の地に創建されたと伝える。

『神名帳考證』『神祇志料』『地理志料』では御祭神を大彦命の御子である彦背立大稲輿命(おおいなこしのみこと)としている。

また、『越後國式内神社考證』では、意支都久辰為命(おきつくしいのみこと)、俾都久辰爲命子(へつくしいのみことのこ)、奴奈宜波比売命(なぎはやめのみこと)。

当初鎮座地名と合わせて、「いなこし」「くし」が式内社名に通じるという。他の論社に、出雲崎町に式内同名神社がある。

修験者秋葉三尺坊をはじめ僧徒山伏修験者数千人の勢力だったという。仁治3年(1242年)、現在の又倉村の地に遷座。この際、その産土神である又倉神社を合祀し、現在も相殿に祀られている。

江戸時代には当社を中心として、2里から3里内のおよそ100の町村が執行に携わったという王神祭は又倉神社の祭礼で、現在も規模は縮小されながらも脈々と続く。

江戸時代になり、天海により別当寺の安禅寺(金峰山静観院)が真言宗から天台宗に宗旨替えとなった。元和年間(1615年-1624年)に社殿が炎上して古記録が焼失。

慶安2年(1649年)に徳川家光は朱印300石を、越後長岡藩主牧野家は40石を寄進し、守護神と崇め家督相続の折には必ず参詣した。

当時は長岡・三島・古志八十ヶ町村の総氏神、越後中越地方の総鎮守などと崇められたと伝わる。

明治維新に神仏分離令により神祇と決して別当寺の安禅寺は分離・廃寺となり、もとの蔵王堂から現社号に改名。県内最初の県社に列した。

明治40年(1907年)に社殿が炎上し、大正2年(1913年)に再建された。隣接して南北朝時代から戦国時代までの要塞である蔵王堂城跡、樹齢800年ともされる御神木「蔵王の大欅」がある。

例祭は7月15日。もともとは旧暦6月15日だった。流鏑馬と長岡町の屋台とが呼び物であったが、宝暦14年(1764年)以降、屋台については越後長岡藩より統制を受けた。流鏑馬は現在も行われている。

【ご利益】
製鉄・鍛冶、金運・縁結びなど(公式HP
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金峯神社(長岡市)の御朱印