「上弥彦神社」越後一宮に対する二の宮、太太神楽や室町期の阿弥陀堂・神輿
[住所]新潟県小千谷市土川2-12-22
[電話]0258-83-3512

魚沼神社(うおぬまじんじゃ)は、新潟県小千谷市にある神社。上越線の小千谷駅の西約2.6キロ。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「魚沼神社(越後国・魚沼郡)」に比定される式内社(小社)の論社。越後国二宮と言われる場合がある。近代社格では県社

御祭神は天香語山命豊玉姫命・阿彦ともされるが、天香語山命であれば弥彦村の彌彦神社と御祭神が同じ。

そのため、「上弥彦神社」と呼ばれ、上杉謙信の時代の史料にも「上弥彦大明神」とあり、拝殿にも「彌彦大明神」の額が掲げられている。

越後国一宮である彌彦神社に対し、当社を「二の宮」と呼び、この地域の人々の信仰の中心となった。

しかし、彌彦神社には「上弥彦神社」に関する伝承は残されていないという。また、越後国二宮は通常、柏崎市の物部神社を指す。

創建は第10代崇神天皇の時代と伝えられている。式内社「魚沼神社」は貞観3年(861年)、従五位下の神階を賜う。

南北朝時代の元弘3年(1333年)、新田義貞の挙兵に伴い、当社神官挙げてこれに従う。延元2年(1337年)、新田義貞が敗れると、従軍した神官は散り、慈眼寺・円明寺は五智院末寺となる。

室町時代の永享9年(1437年)、西片弥三郎光行が鰐口を寄進。現存しており、県指定文化財になっている。西片弥三郎光行は明応元年(1492年)にも懸仏4体を寄進している。

天井板に「明応四年乙卯年(1495年)四月」という記述がある神輿が現存する。文化14年(1817年)の修理の際、当初の様式が失われたとされるものの、市の有形文化財。

永禄5年(1562年)、上杉謙信から社領100貫と18末社に各御供田一町半反が寄進された。現在も18末社の体制。

同年の関東出陣に際して、上杉謙信は当社で宿泊している。この時の関東での戦いでは当社御祭神の伝説がある。

この頃、永禄6年(1563年)とされるが、現在は国の重要文化財に指定されている阿弥陀堂が建立される。方三間、宝形造茅葺の小堂。昭和29年(1954年)に解体修理が行われた。

永禄12年(1569年)、越中国砺波郡糸岡庄七社明神から手写『大般若経』を当社へ寄進。現存しており、県指定文化財。天正4年(1576年)には11体が現存している神像が制作される。

安永9年(1780年)、京都吉田家に対し、「万一、当社以上の有力な式社の証拠をもった社が出た場合は、魚沼神社の社号取り消しに関して、なんら異存は無い」という一文をもって現社号に改称の許可を得た。

つまり、現社号はこの頃から定着したものと思われ、当社が式内社「魚沼神社」かは確証がない。論社としては他に、湯沢町に同名神社がある。

また、南魚沼市には坂本神社が大倉に二社あるが、いずれも時に「魚沼神社」の論社ともされる。他の論社として、市内桜町の伊米神社がある。

現在の拝殿は安政年間(1855年-1860年)の建築。明治6年(1873年)に郷社に列し、のち県社に昇格した。例祭は9月5日-7日。神輿渡御の他に、太太神楽があり、浄き舞・四方祓など12の舞がある。

【ご利益】
厄災除け、病気平癒(婆っ貝)、盗難除け(一杯清水)など
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