明治維新を導いた先駆者「寛政の三奇人」高山彦九郎を生地に奉斎
[住所]群馬県太田市本町48-32
[電話]0276-22-3055

高山神社(たかやまじんじゃ)は、群馬県太田市にある神社。近代社格では県社。江戸時代後期の尊皇思想家である高山彦九郎を御祭神とする。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は明治6年(1873年)、高山彦九郎生誕の地・太田市細谷に小祠が設けられたことによる。

地元有志が神社創建を政府に願い出たことに始まり、明治11年(1878年)に内務卿に認可され、翌明治12年(1879年)に天神山中腹に社殿が造営された。

高山彦九郎(たかやまひこくろう)は、延享4年(1747年)生まれ。本名は正之で、林子平・蒲生君平とともに、「寛政の三奇人」の一人。この場合の「奇」は「優れた」という意。

18歳の時に遺書を残して家を出て、各地を遊歴して勤皇論を説く。京では岩倉具選宅に寄留し、奇瑞の亀を献上したことで、光格天皇にも拝謁した。その感激を詠った次の歌は、愛国百人一首にも採られており、名高い。
我を我と しろしめすかや すべらぎの 玉のみ声の かかる嬉しさ
尊皇の思想が幕府の警戒を呼び、寛政3年(1791年)に九州各地を旅した後、豊後国日田において捕縛される。その後も幕府の監視を受け、寛政5年(1793年)、筑後国久留米の友人森嘉膳宅で自刃する。享年46歳。

先駆的な政治理念を抱いた行動と実践は、吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛らをはじめとする幕末の志士たちに大きな影響を与え、いわば明治維新を導いた先駆者。

明治13年(1880年)3月、県社に列格。昭和7年(1932年)に現在地の山頂に遷座。平成26年(2014年)12月30日、火災により拝殿と本殿が全焼した。

200段以上ある石段を地域の人や運動部の学生たちが上り下りするなど、健脚に役立っている。春には満開の藤が咲き誇り、藤棚の美しさでも知られている。

なお、「寛政の三奇人」の一人である蒲生君平は、栃木県宇都宮市の蒲生神社で祀られている。もう一人の林子平を祀る神社は確認できないが、墓所が仙台市青葉区の龍雲院の東隅にあり、史跡指定されている。

【ご利益】
国家安泰、家内安全、学業成就(公式HP
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高山神社(太田市)の御朱印