料理の祖神が留まった地、その子孫に奉斎された「日本一社禁鯉宮」コイ明神
[住所]栃木県小山市高椅702
[電話]0285-49-0159

高椅神社(たかはしじんじゃ)は、栃木県小山市高椅にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 下総国 結城郡「高椅神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

「料理の祖神」磐鹿六雁命を主祭神とする最も古い神社であり、国常立尊・天鏡尊・天萬尊・木花咲耶姫神経津主神高龗神火産霊神豊受比売神を配祀する。

社伝によると、第12代景行天皇41年、日本武尊が東征の際に当地で国常立尊・天鏡尊・天萬尊を勧請し、戦勝を祈願したのが起源である。

景行天皇が、日本武尊の東征の戦跡を巡視された際、膳臣であった磐鹿六雁命は老齢のため帝の許しを得てこの地に留まった。

天武天皇12年(684年)、当地を支配した磐鹿六雁命の末裔高橋氏が高橋朝臣の姓を授けられ、その年、当社に祖神・磐鹿六雁命を合祀して現社号を称した。

長元2年(1029年)、境内に井戸を掘ったところ大きな鯉が出たので、これを都に報告したところ、時の後一条天皇は誠に霊異なことであるとして「日本一社禁鯉宮」の勅額を授けた。

以来、当社氏子は鯉を食べず、鯉の絵が描かれた器は使わず、5月にこいのぼり(鯉幟)も立てない。このことから当社には「鯉の明神」の別名がある。特段、「恋の明神」とは伝わってこない。

中世には下総国結城氏の保護下に置かれ、歴代当主によって保護されていた。結城政朝、結城政直、結城政勝、結城晴朝、結城秀康の各城主の寄進状、祈願文、修行留など20通余が現存する。

特に秀康が越前福井へ国替になった後も代々例度の代参を欠かすことがなく、明治維新まで続けられた。明治5年(1872年)に郷社となり、明治10年(1877年)7月に県社に昇格。

当社楼門は、結城家の寄進により、宝暦4年(1753年)より明和7年(1770年)までの16年の歳月を要して完成したもので、現在は県指定有形文化財となっている。

例祭は春季が4月3日、秋季が10月9日。秋季例大祭では市指定無形民俗文化財である太々神楽が奉納される。10月には包丁式が行われる。

境内社に、白幡神社(武甕槌神)、稲荷神社(倉稲魂神)、大椙神社(大物主命)、上宮神社(聖徳太子)、天満宮(菅原道真公)、真剣神社(日本武尊)などがある。

岐阜県に、飛騨高椅神社(下呂温泉合掌村)・恵北高椅神社(中津川市夜明けの森)・金高椅神社(岐阜市金神社境内)・飛騨高山高椅神社(高山市日枝神社境内)という四つの分社がある。

なお、磐鹿六雁命を祀る式内社として、千葉県南房総市千倉町の高家神社、奈良県奈良市八条の高橋神社がある。

【ご利益】
料理の租神、調理師守護
高椅神社 - 料理の祖神が留まった地、その子孫に奉斎された「日本一社禁鯉宮」コイ明神
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高椅神社の御朱印