後三年の役で立ち寄った源氏三兄弟を祀る、平塚亭とともにアサミストの聖地
[住所]東京都北区上中里1-47-1
[電話]03-3910-2860

平塚神社(ひらつかじんじゃ)は、東京都北区上中里にある神社。『江戸名所図会』に記載があり、近代社格では郷社。源義家、源義綱、源義光を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

奈良時代までの当地は荒墓郷と呼ばれていた。「平塚」の地名の由来とされる「塚」は、社殿裏にあり、非公開であるが、北区によって「甲冑塚古墳」として登録されている。

神社に伝わる『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』によれば、かつてここに豊嶋郡の郡衙があった。平安時代に秩父平氏豊島近義がこの場所に城館(平塚城)を築てたと伝わる。

平安後期の後三年の役(1083年-1087年)の帰路に、八幡太郎源義家、賀茂次郎義光、新羅三郎義綱の三兄弟がこの館に逗留し、手厚いもてなしを受けた。

義家は感謝の験として鎧一領と十一面観音像を近義に下賜し、後にこの鎧を城の守り本尊として塚を築き埋めたのが塚の初めとされる。

「鎧塚」「甲冑塚」と呼ばれた他、塚が高くなく平たかったことから「平塚」とよばれ、これが当地郷の地名の起こりとされる。

当社は豊島氏がこの源氏三兄弟の徳を慕って、三人の逗留地に社を営んで「平塚三所大明神」とし、影像を奉祀し、鎮守としたことが起源とされている。

隣接地からは当時の奥州に通ずる道の跡も発見されている。豊島氏は鎌倉時代にかけて西の宇多氏や毛呂氏と結んで本拠を石神井に移して上杉氏と対立、室町時代になり豊島本宗家は上杉臣下の太田道灌にこの平塚城で滅ぼされた。

江戸時代、平塚郷の無官の盲人であった山川城官貞久が、平塚明神に出世を祈願して江戸に出たところ、検校の地位を得て3代将軍徳川家光の近習となった。

また後に山川は家光の病気平癒を祈願したところ直ちに病気は快癒した。山川は感謝して平塚明神社を修復し、事実を知った家光が寛永17年(1640年)、50石の朱印地を寄進した。

新規に朱印が下賜されるのは当時の一般諸社寺政策から見て極めて異例であり、幕府から特別な崇敬を受けたことが分かる。以後、歴代将軍は同様の額を安堵している。

例祭は9月14日・15日。8月13日に御霊なごめ祭が行われる。義家の命日にあわせ執行するもので、平成17年(2005年)から行われ、献灯が飾られる。2月3日は節分祭で、豆まきなどの諸行事がある。

境内社には、豊島近義を配祀する豊島神社、稲荷神社、石室神社がある。また南側にある城官寺は、もと平塚三所大明神の別当の小庵で、これを山川が筑紫の僧を呼んで再興し平塚山を号している。

近くには名物の団子が売られている平塚亭がある。当社を含め、内田康夫の推理小説である浅見光彦シリーズで、当地は主人公の住居の近くのために作品中に頻出し、アサミストの聖地となっている。

【ご利益】
勝運、出世開運、病気平癒など(公式HP
平塚神社 - 後三年の役で立ち寄った源氏三兄弟を祀る、平塚亭とともにアサミストの聖地
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