垂仁期に創祀、平安初期に創建の、さくら・あじさい・紅葉で有名な古社
[住所]栃木県栃木市平井町659
[電話]0282-22-0227

太平山神社(おおひらさんじんじゃ)は、栃木県栃木市、太平山(341メートル)の中腹にある神社。春のさくら、6月のあじさい坂のあじさい、秋の紅葉で知られる。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 下野国 都賀郡「大神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

『諸神座記』などによれば、第11代垂仁天皇の御宇に大物主神(おおものぬしのかみ)・天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)が三輪山(現 太平山)に鎮座したのが創祀。

当社の周辺からは古い時代の祭祀遺跡・祭祀遺物が出土しており、太平山は非常に古くから信仰されていた山であったことは間違いない。

『太平山開山記』によれば、「円仁(慈覚大師)は何年にもわたり太平山の入山を拒否されていたが、淳和天皇の御代の天長4年(827年)、天皇の勅額を奉じることでついに入山を果たした」とある。

この際、勅命により、現在の主祭神である瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、天照皇大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)が奉斎された。

これが今日伝えられている「天長四年慈覚大師開山説」で、旧暦1月8日に執り行われる神蛇祭(しんださい)の祝詞にも伝えられている。

この後、太平山は神鎮まる御山として一大霊地となり、摂末社および寺院が八十余遷座・建立されたという。

明徳3年(1392年)には後小松天皇から額が下賜されたが、天正13年(1585年)の戦火で、これら淳和・後小松両天皇の額は焼失した。

戦国時代に北条氏と対立する上杉謙信が太平山から関東を臨んだという言い伝えが残っている。

天正年間(1573年-1593年)に兵火によって社殿は焼失したが、近世初期には復興し、徳川幕府から朱印地50石が認められた。

江戸時代中期の享保8年(1723年)、8代将軍徳川吉宗による造営となる随神門が今に残る。

さらに寛政年間(1789年-1801年)には「御願御抱場」となるなど、民衆のみならず朝廷や幕府からも「天下太平を祈る社」として信仰された。

『雲上明鑑』『雲上明覧』にも「下野 太平山宮司」「野州 大平山神主」または「野州 大平山別當」と記載されるなど、武家伝奏が朝廷へ執奏する社でもあった。

往時の八十余座までは届かなくても、交通安全神社・福神社などユニークなものも含め、現在も境内には数多くの摂末社がある。

本殿後ろには奥宮があり、創祀当初からの御祭神である天目一大神を祀る。

例祭は10月18日で、御開扉祭。3月下旬から4月上旬までにさくらまつりが、6月中旬から7月上旬までにあじさいまつりがある。

展望台があり、夜景の名所でもある。初詣には初日の出参拝も含め、多くの参拝客で賑わう。

なお、式内社「大神社」の論社は他に、市内惣社町の大神神社がある。

【ご利益】
平穏安寧、家内安全、商売繁盛、諸願成就(公式HP
太平山神社 - 垂仁期に創祀、平安初期に創建の、さくら・あじさい・紅葉で有名な古社
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太平山神社の御朱印