継体天皇が越前滞在時に座摩神を奉斎した社、式内6社を合祀、式内1社が境内社
[住所]福井県福井市足羽1-8-25
[電話]0776-36-0287

足羽神社(あすわじんじゃ)は、福井県福井市足羽にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御祭神である第26代継体天皇をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。

『延喜式神名帳』にある「足羽神社(越前国・足羽郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

越前祖神で、有名な継体天皇の石像の近くに鎮座(当社の近くに石造を建立した、が正しい)。

継体天皇が坂井郡三国にいた時に大宮地之霊(おおみやどころのみたま、大宮地の霊)を祀ったのが当社の起源だという。

大宮地之霊とは、生井神(いくいのかみ)・福井神(さくいのかみ)・綱長井神(つながいのかみ)・阿須波神波比岐神の5座の神の総称。

この5柱は、『延喜式』神名帳 宮中京中 宮中坐神 神祇官西院坐御巫等祭神の中の座摩巫祭神五座と同じ。大阪市中央区の座摩神社などでもこの5柱を祀る。

『続日本紀』によれば、延暦10年(791年)4月、従五位下に叙され、『文徳天皇実録』によれば、仁寿元年(851年)正月、従四位下が加えられた。

『延喜式神名帳』を経て、『日本紀略』によれば、天慶3年(940年)正月には従三位。なお、国内神名帳である『越前国惣神分』には、正一位足羽大明神と記載される。

鎌倉時代以後、武家からの崇敬が篤く、領主の朝倉氏などが社領を寄した。江戸時代に、福井藩主越前松平家代々の尊信が深厚であった。

北朝貞和5年(1349年)に下賜された光明天皇御宸筆「大宮地」と、文政12年(1829年)5月の例大祭に下賜された仁孝天皇御宸筆「大宮地之霊」の額字が旧国宝に指定されていたが、太平洋戦争の戦火で焼失。

明治33年(1900年)の橋南の大火、昭和20年(1945年)の福井空襲、同23年(1948年)の福井大震災などにより社殿は焼失倒壊したが、その度に再建され、昭和34年(1959年)に整備完了。

その後は昭和51年(1976年)に鎮座1500年を機に大祭を斎行した。

平成19年(2007年)には継体天皇即位1500年を奉祝し、本殿幣殿拝殿の増改修、社務所増改築をはじめ境内整備を行い、記念大祭を斎行している。

例祭は5月15日で、春季例大祭。神幸祭が斎行され、大神輿渡御・奉納能がある。1月には左義長祭や寒中みそぎがある。

当社の境内社には坂井郡の式内社「枚岡神社」の論社がある他、下記の式内社が本殿に合祀されている。

・於神社(足羽郡)
・御門神社(足羽郡)
・山方神社(足羽郡)
・土輪神社(足羽郡)
・都那高志神社(坂井郡)

この中で、式内社「土輪神社」は通常所在不明とされ、当社に合祀されたものも参考社とされることがある。「都那高志神社」も参考社とされる場合がある。

「枚岡神社」の論社は他に、坂井市の三国町神明の神明社、三国町北本町の氷川神社、鯖江市水落町の神明社の境内社である八幡・多賀がある。

境内のタカオモミジ、シダレザクラが市の天然記念物に指定されている。付近には、毛谷黒龍神社などもある。

【ご利益】
産業開発興隆、商売繁盛、工事安全、子授け、安産、子孫繁栄(公式HP
足羽神社 - 継体天皇が越前滞在時に座摩神を奉斎した社、式内6社を合祀、式内1社が境内社
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足羽神社の御朱印