加賀藩主・家老から崇敬された、もとの式内・三輪神社、金沢最古の神社とも
[住所]石川県金沢市本多町3-1-30
[電話]076-231-3314

石浦神社(いしうらじんじゃ)は、石川県金沢市本多町にある神社。『延喜式神名帳』にある「三輪神社(加賀国・加賀郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社。金沢最古の神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

御祭神は、大物主大神大山咋大神菊理媛大神(白山比咩大神)・天照皇大御神天児屋根大神(春日大神)・市杵島姫大神誉田別大神(八幡大神)。

創建には諸説あるが、越前国加賀郡に住む三輪の氏子が奈良時代に居住地に社祠を建て、大和国大神神社の神霊である大物主大神を勧請し三輪神社と号したのが起源とするもの。

古来より加賀郡石浦郷七ヶ村の総社として崇敬を集めた。やがて神仏習合により、当社御祭神の大物主大神が近江国日吉大社の神と同体であるので、当社を「石浦山王」、あるいは「地主権現」と称し、石浦山慈光院長谷寺と改めた。

創建当初の社地は、下石浦村(現 長町3番丁辺り)の地で、江戸時代の藩士の邸地の一区域とも、西外惣構堀藪ノ内の藩士高畠石見守の旧邸があったとも伝えられ、室町時代にはここに大きな社殿があった。

天正8年(1580年)、佐久間盛政が加賀一向一揆の拠点である金沢御坊を攻略した時、兵火に遭いことごとく焼失。慶長6年(1601年)、加賀藩2代藩主前田利長から本多町に社地600余歩を賜り、石浦村に帰座した。

元和元年(1615年)、この地が藩老本多安房守政重の下屋敷となった際に邸地内に編入された。寛保3年(1743年)12月には、社地170歩が加増され、770余歩となった。

金沢城地の産土の神として、また城の鎮守神として歴代の加賀藩主の崇敬も厚く、2代藩主利長は社殿を再建、5代藩主綱紀の時は妻女の出産に際し安産を祈願し、以来安産の神としても人々から厚く信仰されている。

藩老五万石の本多氏も、当社が元は下屋敷地内にあったために祈祷所とし、初代政重が寛永18年(1641年)3月に200両を当社に寄進したのをはじめ、2代政長・6代政行・8代政礼らが社殿の再建・造営を行っている。

明治維新の神仏分離令により、明治元年(1868年)12月、氏子地の石浦の郷名をとって現社号に改称した。明治13年(1880年)9月、下本多町から現住所に移転した。

例祭は10月2日。1月15日には左義長があり、他にも年間50を超える祭(大祭・中祭・小祭)がある。

食べると幸せになるのは金沢カレー、加賀れんこん、旅行に行くと良いのは山代温泉、近江町市場――など、金沢の味覚や名所などを盛り込んだおみくじを作っていることでも知られている。

また、当社境内を活用し、NPO法人「趣都金澤」が主催する「金沢宮遊 石浦」というイベントが開催される場合がある。朝から夕方はカフェ、夜は地酒を提供するバーが出店され、朝市やコミュニティーマーケットなどがある。

兼務神社に建武元年(1334年)の創建といわれる泉野菅原神社(金沢市野町3-15-8、御祭神:織田信長公・菅原道真公)がある。

式内社「三輪神社」の論社は他に、石川県河北郡津幡町の加茂神社三輪神社がある。

【ご利益】
縁結び・家内安全、厄除・八方・安産、仲執り・結びなど(公式HP
石浦神社 - 加賀藩主・家老から崇敬された、もとの式内・三輪神社、金沢最古の神社とも
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石浦神社の御朱印