旧入間郡と多摩郡92村の総鎮守、「武蔵国三氷川」の中乃社
[住所]埼玉県所沢市山口1850
[電話]04-2922-8888

中氷川神社(なかひかわじんじゃ)は、埼玉県所沢市山口にある神社。参拝すれば、「武蔵国三氷川中乃社」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 入間郡「中氷川神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

氷川信仰の氷川神社であり、旧入間郡と多摩郡92村の総鎮守。御祭神は、素戔嗚命稲田姫命大己貴命。第10代崇神天皇の御代の創建と伝えられる。武蔵国造から厚く崇敬されたと伝わる。

地元では古くから「氷川様」と呼ばれている。平安時代末期に武蔵山口氏の祖である山口家継が社殿造営し、その後兵火により焼失したが、室町時代初期、山口高忠が山口城とともに再興した。

代々の山口城主から当社が崇敬を受け、天正19年(1591年)には徳川家康より社領4石3斗余の御朱印状を拝領した。

別当は、字打越にあった真言宗天竜山普源院で、長く当社を管理していた。しかし、嘉永6年(1853年)、安政5年(1859年)と続けて火災に遭い、当社関する資料をすべて失った。

明治5年(1872年)に村社に列格。明治9年(1876年)、熊谷県庁に提出した資料には、元禄2年(1689年)の本殿棟札と天保10年(1840年)の本殿上屋棟札が記録されている。

明治40年(1907年)に上山口・山口内の諸社を合祀、大正9年(1920年)に郷社に列した。

昭和4年(1929年)、山口貯水池建設のため大字勝楽寺字大坊の七社神社(七社権現。七社大神)を合祀した。その御神体である木造蔵王権現立像は現在、市の指定文化財になっている。

昭和2年(1927年)、現在の本殿を造営。昭和12年(1937年)に県社に昇格。昭和20年(1945年)、連合国軍最高司令官総司令部民間情報教育局初代局長のケン・R・ダイク准将が当社の祭礼を視察した。

春例大祭は4月第1日曜日、秋大祭は10月体育の日に行われる。11月には菊祭りが開催される。兼務神社に、荒幡富士浅間神社、堀口天満天神社がある。

社号の意味として、大宮氷川神社と東京都西多摩郡奥多摩町の奥氷川神社の中間、つまり武蔵三氷川である、とか、あるいは大宮氷川神社と武蔵国の国府(現 東京都府中市)の中間などの説がある。

当社自身は「武蔵国三氷川」と称しているため、大宮の氷川神社と奥氷川神社をあわせて三氷川としているようで、前者の説を採っていることになる。

見沼周辺の氷川三社の一社であるさいたま市見沼区中川の中山神社も中氷川神社と呼ばれることがあるが、別の神社。

また、式内社「中氷川神社」の論社は当社の他に、同市内三ケ島に同名の神社がある。

【ご利益】
厄災除け、安産、縁結びなど(公式HP
中氷川神社(所沢市山口) - 旧入間郡と多摩郡92村の総鎮守、「武蔵国三氷川」の中乃社
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中氷川神社(所沢市山口)の御朱印