杉本苑子「瑪瑙の鳩」を読んで - 武内宿禰と、タイトルの「鳩」が意味するところ
八幡神は応神天皇ではない - 九州で顕現したのだから九州と密接に繋がる“天皇”のはず」という論考を書いて、そのコメントに頂いたのが杉本苑子の短編「瑪瑙の鳩」で、未読だったので、拝見させていただきました。

昭和44年(1969年)という少し古い作品ではありますが、仲哀天皇のあの不可解な“事件”と、応神天皇は誰の子かというテーマを扱った、もの悲しい小説。逸品です。

あまりにも正邪がはっきりしすぎてはいるきらいがありますが、この小説だけだと誤解するといけない部分として、武内宿禰は重臣ながら、どこの馬の骨かわからない、ような描写になっているところ。

武内宿禰、つまり建内宿禰は第8代孝元天皇の皇孫であり、歴とした皇族です。

仲哀天皇が第14代ですから、作品内設定40歳ぐらい(実際の年齢は作品内でも明確にはしていません)も少し無理があるくらいではあります。

ちょっとネタバレですが、この作品に限らず、よく指摘される、応神天皇は建内宿禰と神功皇后の子であって、仲哀天皇が父ではない、という説。

本サイトでも、先の八幡神の論考でも、その可能性をその都度論じていますが、それでも、応神天皇の父が仲哀天皇ではなく、建内宿禰であっても、建内宿禰が立派な皇孫であり皇族の一人である以上、男系男子の皇統が途切れているわけではないことには注意が必要かもしれません。

ただし、仲哀天皇の血筋は途絶えることになるのは間違いないところではあります。

本作品でラストに、新皇子(後の応神天皇)の誕生で、武内宿禰に、時代が変わる、というような趣旨のセリフを言わせています。

いわゆる河内王朝を意識したのかもしれません。

本サイトでは、~~王朝という言い回しはそんなに好きではないところがあります。『古事記』には王朝交代というような記載は一切なく、皇統は脈々と続いている、ということが明記されているためです。

またこれは、考古学上も、いわゆる王朝交代が古代日本にあった、というような証拠は一切見つかっていないのが実際です。

さて、本作品タイトルの「鳩」は何を意味するのか?

作品中に、仲哀天皇の父としてヤマトタケルの話題が出て、その白鳥伝説が触れられますが、その流れで言えば、明らかにどんな鳥でもよかったタイトル付けではないことが分かります。

「鳩」は八幡神の神使。

杉本氏も、仲哀天皇と、その急死後に犠牲になった仲哀天皇の本当の皇子2人香坂王忍熊王、それに殉じた人々の鎮魂・慰霊のためにタイトルに「鳩」を使うことで、仲哀天皇を含めた、仲哀天皇を中心とした、こうした人々が八幡神の本質なのだ、と、40年以上前から主張されていた、ということなのかもしれません。

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