「日本一社」の眼病に霊験あらたかな神、黄心樹・楠・銀杏など
[住所]宮崎県宮崎市生目345
[電話]0985-47-8272

生目神社(いきめじんじゃ)は、宮崎県宮崎市にある神社。近代社格では県社。亀井山と称する丘上に東面して鎮座し、「日向の生目様」と呼ばれ、古くから眼病に霊験あらたかな神社として知られる。参拝すれば、「日本一社」などとある御朱印を頂ける。

御祭神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと)と藤原景清公を主祭神に、彦火瓊々杵尊彦火火出見尊鵜茅葺不合尊の3柱を相殿に祀る。

『宇佐大鏡』によれば、天喜4年(1056年)にはすでに鎮座していたと考えられるが、記録類が失われており、不詳。

鎮座地周辺が豊前宇佐八幡宮の神領地である宮崎庄に含まれるため、庄園の鎮守として八幡神を勧請したのが創まり、とも。

また、源平合戦の後に源頼朝に捕らわれた藤原景清が、源氏の栄達を目にすることを厭うとともに源氏への復讐を断念するために自身の両眼を抉った。

その志を賞した頼朝から日向勾当という職と日向国の地300町(およそ3600坪)を与えられたといい、当地へ下向した景清の没後にその両眼を祀ったことによる、とも。

別に、第12代景行天皇の熊襲征伐の途次、先帝である垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊)の崩御日にその霊を祀る先帝祭を当地において営み、住民がこれを嘉して引き続き聖地として崇め、「活目八幡宮」と称えたとも。

元祿2年(1689年)3月3日に豊後国日田郡の郡代、池田季隆が参詣し下記のように詠じた。
かげ清く照らす生目の鑑山、末の世までも曇らざりけり
「鑑山」を「水鑑」と改め、これを唱えることで霊験が得られようとの神託が下ったため、そのように改められ、以来、神詠歌として参詣者に唱えられることとなった。

明治3年(1870年)に現在の社名に改め、明治5年(1872年)郷社に列し、明治6年(1873年)には県社に昇った。

例祭は11月23日。3月15日に近い前後の土曜日には里神楽祭があり、生目神楽が奉納される。旧暦1月15日から17日にかけて行われる縁日祭は参道に屋台が立ち並び1年で一番賑う。

境内社に黄心樹の樹下に八坂神社が、楠の樹下に若宮神社が鎮座する。オガタマノキ(黄心樹)、クスノキ(楠)はそれぞれ市指定の天然記念物。

境内に聳える銀杏は、幹周6.24メートル、樹高34メートルに及ぶ巨木で樹齢は300年。「みやざきの巨樹百選」に認定されている。

宝治二年銘神面及び天文五年銘神面が県指定文化財。宝治銘神面は宝治2年(1248年)の作で県内最古の有銘仮面。天文銘神面は、天文5年(1536年)のもの。

【ご利益】
眼病平癒・予防、リフレッシュ、病気平癒
生目神社(宮崎市) - 「日本一社」の眼病に霊験あらたかな神、黄心樹・楠・銀杏など
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生目神社の御朱印