道真に祟り殺された? 時平の娘が移り住み、父と道真の菩提を弔った地
[住所]千葉県八千代市高津字宮ノ前294
[電話]047-459-4586

高津比咩神社(たかつひめじんじゃ、高津比め神社)は、千葉県八千代市高津にある神社。近代社格では村社。下総三山の七年祭りに参加する一社で、役割は娘。参拝すれば、御朱印を頂ける。

文久3年(1863年)、時の住職が記した『高津観音堂本尊縁起』に以下のようにある。
平安前期、菅原道真を追放した祟りで亡くなった藤原時平の妻と第五息女高津姫は、東下りをして下総の久々田に漂流した時、舟が石となった。

姫は三山から当地に落ち着き、花の洛の昔を偲び亡父を慕いながら当地で一生を終えた。彼女が守り本尊としていたのが十一面観世音菩薩で、高津観音寺に安置された。

高津姫は高津比咩神社に祀られ、当地の産神様となった。
諸説あるが、高津姫の墓に当社は創建されたとも。母子亡き後、領主千葉之介の後裔がその因縁に感動して、当地を高津と命名したという。

姫が護持した十一面観世音菩薩は、行基の尊像で、元は父の時平に伝えられ、高津姫に与えられたといわれる。姫はこの地に堂を建立し、その観世音菩薩像を安置した。

今も当社に隣接する高津観音堂の開基である。

高津観音堂に現存する十一面観世音菩薩は後世のもので、高津姫由来のものは江戸中期の火災で失われているという。

当社は、明応元年(1492年)9月の創建と伝わる。御祭神は多岐都比売命宗像三女神の一柱であるが、「激流の女性」を表すともされ、ここでは高津姫と同一視されている可能性がある。

境外社に、天正2年(1574年)2月創建の子ノ神社(大己貴命)、天保13年(1843年)創建の浅間神社(木花開耶姫命)、天文11年(1542年)11月創建の妙見神社(北斗北辰)、元和元年(1616年)7月創建の高秀霊神社(間宮庄五郎源高秀)があったが、昭和26年(1951年)に当社に合併。

間宮庄五郎源高秀は、元和元年(1615年)に大坂夏の陣で戦死した当時高津村の二代目領主であった旗本間宮正秀のこと。

正秀の従者として夏の陣に加わった高津村源左衛門家の先祖が、主君正秀の首を持ち帰って観音寺に埋めたと伝えられる。

元境外社の鳥居や石碑などは残るが、いずれも本殿に合祀されているものと考えられる。例祭は10月9日。毎年1月20日に行われる弓を射る神事が「高津のハツカビシャ」として、市指定文化財。

境内社に、宝永2年(1705年)4月創建の八坂神社(素盞雄命)、文政12年(1829円)3月創建の八坂神社(素盞雄命)、安政6年(1860年)8月創建の金刀比羅神社(金山彦命)、元禄7年(1694年)7月創建の稲荷神社(保食命)がある。

以上は当社由緒書きであるが、由緒書きにはないものの、境内社として天満宮がある。一説に、高津姫の時代から、父時平を祟り殺したともされる道真を祀っていたとも。

高津姫にとっては、父も、道真も双方その菩提を弔わなければやりきれなかったのだろう。

八千代市内には父時平を祀る時平神社四社がある。そのうちの二社は同じく下総三山の七年祭りに参加するが、役割としては、当社が娘ではあるものの、時平神社は長男とされ、兄妹の関係になっている。

【ご利益】
女性の守護神、開運招福、諸願成就
高津比咩神社 - 道真に祟り殺された? 時平の娘が移り住み、父と道真の菩提を弔った地
【関連記事】
下総三山の七年祭り - 6年ごと丑年と未年に行われる千葉4市9神社が参加する安産大祭
千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧
高津比咩神社の御朱印