千葉県八千代市になぜか四社も集中する謎、天満宮が近辺には存在しない
時平神社四社 - 千葉県八千代市になぜか四社も集中する謎、天満宮が近辺には存在しない
時平神社四社(ときひらじんじゃよんしゃ)は、千葉県八千代市にある四つの時平神社の総称である。下総三山の七年祭りにもかかわりが深い。御祭神はいずれも左大臣藤原時平。

平安時代初期、時平は若くして左大臣まで登り栄達するが、菅原道真を太宰府に左遷させた張本人とされる。道真が左遷先で亡くなる、ほとんど直後というタイミングで、自身も39歳の若さで死去。

その死は当然のことながら道真の祟りと囁かれた。ある意味では、日本における天神信仰の確立を担ったことになる。

四社ともいずれも由緒や情報に乏しく、なぜこの地域に四社もの時平神社が集中しているのか不明。特に、大和田は慶長15年(1610年)に、萱田町は元和元年(1615年)に、それぞれ江戸初期に相次いで創建している。

当地域には、時平はじめ親族が次々と亡くなってしまう状況に対して悲観した、時平の妻子や一族が当地に移り住み、特に時平の娘である高津姫の伝承が残されている。それが同市内に鎮座する高津比咩神社につながる。

当地域はまた、菊田神社に代表されるように、平安時代末期に流罪となった藤原師経・藤原師長の上陸地にも近く、当地で祖先の時平を奉斎したとも伝わり、時平に対する信仰はもともと厚い地域柄ではある。

しかしそうだとしても、おそらく最も古いと思われる、四社のうち二社の創建がなぜ江戸初期なのか。

祟りに倒れた時平が更なる怨霊になることを恐れて、時平への信仰が厚くなることは想像はできる。

道真の天神信仰が盛んになり始めた江戸初期に、「いやいや、うちのご先祖様も……」ということで、菊田神社二宮神社から御分霊を勧請したのかもしれない。

なお、この地域の近くには、道真を恐れて、天神・天満宮はないとされる。

大和田 時平神社(大和田)

時平神社(大和田) - 江戸初期創建、社殿三方の壁面に見事な彫り物がある時平神社四社
[住所]八千代市大和田793 大和田公民館隣
[特徴]江戸初期創建、下総三山の七年祭りに参加

萱田町 時平神社(萱田町)

時平神社(萱田町) - 江戸初期創建の時平神社四社の一社で下総三山の七年祭りの一社
[住所]八千代市萱田町947 萱田町公会堂隣
[特徴]江戸初期創建、下総三山の七年祭りに参加

小板橋 時平神社(小板橋)

時平神社(小板橋) - 大和田から昭和期に分社した時平神社四社の一社、社殿三面の彫り物
[住所]八千代市大和田311 小板橋青年館隣
[電話]昭和期に大和田から分社

萱田下 時平神社(萱田下)

時平神社(萱田下) - 時平神社四社の一社も、創建時期やその他一切が不詳の謎の社
[住所]八千代市萱田 萱田下公会堂隣
[電話]由緒一切不明

【関連記事】
神社いろいろ - これで神社のおよそが分かる! 社格や形式などで神社を分類したまとめ
千葉県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、千葉県に鎮座している神社の一覧