茅ヶ崎に鎮座する、源氏が関東進出で最初に創建した氏社、浜降祭で有名
[住所]神奈川県茅ヶ崎市浜之郷462
[電話]0467-82-6725

鶴嶺八幡宮(つるみねはちまんぐう)は、神奈川県茅ヶ崎市浜之郷にある神社。近代社格では郷社。鶴嶺八幡社(つるみねはちまんしゃ)とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

相模国茅ヶ崎の総社として往古より八幡信仰の本地として名高い。また、源氏が関東へ進出する際、創建した最初の氏社という。

御祭神は、応神天皇仁徳天皇・佐塚大神。菅原道真(鶴嶺天満宮)を合祀する。

長元3年(1030年)9月に河内国(大阪府羽曳野市)を本拠とする源頼信の子源頼義が下総の乱鎮定の折り、京都にある石清水八幡宮あるいは宇佐八幡宮を懐島八幡宮として勧請したのが始まり。

後に源氏が現在の場所に分祀した。

天喜3年(1055年)の前九年の役の際に源頼義が祈願し勝利を収めると、康平6年(1063年)、戦勝に報いるため懐島八幡宮を鎌倉由比郷に鶴岡八幡宮の前身である元八幡(鶴岡若宮)を建立した。

その後、応徳2年(1085年)、頼義の子八幡太郎義家が領地を寄進し、懐島郷の隣の浜之郷に当宮を創建した。

この時期に元八幡の旧社であることから懐島八幡宮は本社宮と改称したという。現在は当社の境外摂社である。

源頼朝が治承年間(1177年-1181年)に領地を寄進し、また建久年間(1190年-1199年)にも頼朝は肥後国有為庄に当宮に700貫を寄進させ、懐島権守平景能に修復を命じた。

建久2年(1191年)、大庭御厨の領主大庭景義が大仏殿や三重塔等を建て、当宮を再興。同年、西隣りに伊予の三島の神(大山祇神社の御祭神大山積神)を祀る佐塚明神社が建立される。

古くは別当寺の常光院に十二坊の宿坊が存在したが、各地に散らばった後に廃止となる。江戸時代の正保年間(1645年-1648年)、常光院住職の朝恵が地頭・山岡景信とともに荒れ果てた社殿を修復した。

またこの時、参道に松並木が植えられ整備された。いわゆる八丁参道、八丁並木で、現在は市指定史跡、県指定天然記念物となっている。

慶安2年(1649年)、3代将軍徳川家光が本村に7石の朱印地を与えた。参道の整備はこの後との見方もある。江戸幕府崩壊後、明治時代になると神仏分離令により常光院が復飾し、祠掌となる。

明治6年(1873年)、前々年の太政官布告によって村社となった当宮は、国幣中社となった寒川神社の摂社となる。

明治39年(1906年)、神社整理の一環で、西側に隣接した佐塚大明神を合祀し、佐塚大明神の祭礼の浜降祭を主宰するようになった。

昭和9年(1934年)9月15日、郷社となる。例祭は6月30日で、晦日祭。9月15日には放生会が行われる。

現在は毎年7月の海の日、浜降祭が斎行される。江戸後期に起源をもち、現在までに当社を含め30社前後の神社が参加する。

寒川町・茅ヶ崎市にある各神社の氏子たちが、その神社の神輿を担ぎながら一斉に海に入り、海から出た後は再び各地域まで神輿を担ぎながら戻り、地域を渡御する。

境内には大銀杏がある。源義家が、戦勝を祈願して自ら植えたと伝わり、樹齢約950年。県指定天然記念物で、かながわ名木百選に指定されている。

境内社に、茅ヶ崎淡島神社(少彦名命淡島神)、鉾宮神社(鉾宮大神・古刀比羅命・須佐之男命)、鶴嶺稲荷神社(宇迦之御魂大神)がある。淡島神社の社殿横には難病をも癒すと伝わる霊石癌封じ石がある。

境外社に、本社宮(懐島八幡宮)の他、松尾神明神社、柳島八幡宮、茅ヶ崎厳島神社、円蔵神明大神松尾大神赤羽根神明大神、平太夫新田八幡宮、下町屋神明大神、三島大神西久保日吉神社などがある。

よく似た社号のある神社として、鹿児島県鹿児島市吉野町に鶴嶺神社があるが、全く別の神社。

【ご利益】
家内円満・子孫繁栄、武運長久・勝運、身体壮健、厄祓いなど(公式HP
鶴嶺八幡宮 - 茅ヶ崎に鎮座する、源氏が関東進出で最初に創建した氏社、浜降祭で有名
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鶴嶺八幡宮の御朱印