対馬、二つの鳥居は海中にそびえ、潮の干満により姿を変える龍宮の社
[住所]長崎県対馬市豊玉町仁位55
[電話]0920-58-1488

和多都美神社(わたづみじんじゃ)は、長崎県対馬市豊玉町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 対馬国 上県郡「和多都美神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では村社。

本殿正面の五つの鳥居のうち二つは海中にそびえ、潮の干満により、その様相を変える神秘的なお姿で有名。

主祭神は火々出見尊豊玉姫命。神代の昔、海神で豊玉姫命の父である豊玉彦尊が当地に宮殿を造り、当社が鎮まる地を「夫姫(おとひめ)」と名付けた。

貞観元年(859年)に清和天皇から従五位上の神階を賜る。『日本三代実録』によれば永徳元年(1381年)に従一位を叙せられ、名社大社の一つに数えられた。

豊玉彦尊には一男二女の神があり、男神は穂高見尊、二女神は豊玉姫命・玉依姫命という。

ある時、彦火々出見尊(山幸彦)は失った釣り針を探して上国より下向し、この宮に滞在すること3年、豊玉姫命を娶り妻としたと伝わる。

大潮の時期、満潮をむかえた境内では社殿の近くまで海水が到達することもある。

その光景は龍宮を連想させ、豊玉姫命と彦火火出見尊の出会いに由来する「玉の井」(『古事記』該当部分)や、満珠瀬・干珠瀬などもある。

参道左脇の池に三柱鳥居がある。磯良恵比須という鱗状の岩が祀られており、安曇磯良の墓だと伝わる。満潮時にはこの鳥居が半分ほど水につかる。

また、本殿の裏手の海宮山の原生林の中を少し歩くと、磐座がみえてくる。この手前の壇が豊玉姫命の墳墓(御陵)である。

ただ、豊玉姫命は“仁位の高山”に葬られたと社家には伝承されているので、この磐座は恐らく古い斎場の跡であったものが、戦後に社家が一旦途絶したために生じた混乱だと思われる。

豊玉姫命を仁位の高山に葬ったことについては『楽郊紀聞』に和多都美宮司(わたづみのみやじ)が語ったものが記録されている。

当社は他に、式内社「和多都美御子神社」(名神大社)、「大島神社」(小社)の論社でもある。さらに、上県郡のみならず、下県郡の式内小社「和多都美神社」の論社でもある。

式内社「和多都美神社」と式内社「和多都美御子神社」の論社は他に、峰町木坂の海神神社がある。

式内社「和多都美御子神社」の論社はさらに、豊玉町仁位桜町の和多都美御子神社、上対馬町琴の胡簶神社がある。

式内社「大島神社」の論社は、豊玉町仁位の権現島、豊玉町唐洲の元嶋神社、上対馬町豊の島大國魂神社那祖師神社がある。

下県郡の式内小社「和多都美神社」の論社は他に、美津島町雞知の住吉神社脇宮和多都美神社がある。

また、境内には摂社の波良波神社があり、こちらも式内社「波良波神社」と考えられている。他の論社、というより、旧地とされる地に、浜殿神社がある。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
夫婦和合、良縁・縁結び、子宝
和多都美神社 - 対馬、二つの鳥居は海中にそびえ、潮の干満により姿を変える龍宮の社
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和多都美神社の御朱印