堺市最大規模の祭典「ふとん太鼓」の秋祭りが有名な欽明朝からの古社
[住所]大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5-706
[電話]072-252-1089

百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)は、大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町にある神社。近代社格では府社

公式サイトのドメインは「mozu8.com」とシャレが効いている。百舌鳥神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は応神天皇神功皇后仲哀天皇住吉大神・春日大神を配祀する。所伝によれば、神功皇后が三韓討伐を終えて難波に帰還した時、この百舌鳥の地に心奪われ、誓願を立てたという。

第29代欽明天皇の時代、八幡大神の宣託を受けてこの地を万代(もず)と称し、神社を創建して奉斎。

その後社運は隆昌に赴き、朝野の崇敬厚く、王朝時代には社僧48寺、社家360人、神領寺領800町歩とも言われた。

古い記録としては、現在滋賀県長浜町に応安6年(1373年)在銘の古梵鐘がある。これはもともとは当社の什物であるという。

その銘文中に「近衛天皇の仁平年間(1151年-1154年)に本社の梵鐘が鋳造された」旨記されている。

また、山城石清水八幡宮所蔵の古文書には、後白河天皇の保元3年(1158年)に、当社が石清水八幡宮の別宮となっていたことが見える。

また後宇多天皇の建治年間(1275年-1278年)には、300石の年貢米を本宮たる石清水八幡宮に納めていたことが記されている。

また、『新葉和歌集』には「和泉国万代別宮に参籠し侍りける時よめる」として、亀山天皇の皇子恒明親王(1303年-1351年)の王子である二品探勝親王の次の歌が載せられている。
民安く 国治まれと 祈るかな 人の世よりもわが君の為
その後、大内氏の和泉における兵乱や、降っては元和元年(1615年)の大阪夏の陣の兵火など、度重なる災禍を蒙ったため、次第に昔日の壮観を失い、什宝、古文書なども多く散逸した。

しかし、その後もなお当社は地方信仰の中心として重んぜられた。徳川時代におても、青蓮院宮・町尻家・随心院門跡・土屋候その他より奉納寄進などのことがあり、大坂城代の交替の際には、必ず当社に参拝するのが例とされた。

明治8年(1875年)に大久保利通卿が参拝され、拝殿の額面を揮毫した。

例祭は旧暦8月15日、中秋の名月前後の土日に行われる「月見祭」(9月上旬-10月上旬)、通称秋祭り。氏子9町による勇壮華麗なふとん太鼓が奉納されることで知られる。

市でも最大規模の祭典で、2日間で延べ10万人以上の見物客が訪れる。

1月2日には古式弓道射初式が行われる。60メートルの大的を競射する日置流の奉納礼射式で、的奉行・弓太郎・小射手・関・采振・日記など諸役により、古式にのっとり、天下泰平五穀豊饒を祈念して行われる。

【ご利益】
厄除け、安産祈願、交通安全(公式HP
百舌鳥八幡宮 - 堺市最大規模の祭典「ふとん太鼓」の秋祭りが有名な欽明朝からの古社
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百舌鳥八幡宮の御朱印